柳川の掘割やながわのほりわり

柳川は、市内のいたるところに掘割が巡る。この地は有明海に注ぐ筑後川河口にあたり、かつては湿地帯であった。掘割は、掘って土地の水はけをよくすること、また、農業用水・生活用水を確保することを目的として造られたもので、生活環境を整えるために不可欠だった。
 歴史的には、戦国時代に蒲池氏が築いた柳川城を、1587(天正15)年に立花宗茂が城地と定め、城下町として発展させた土地。途中、関ヶ原の戦いにおいて豊臣方についた立花氏に代わって柳川城を与えられたのが田中吉政。吉政は入城後、干拓や堤防の補強、筑後川の改修などに力を注ぎ、基本的な町割を固めたといわれる。
 現在、小運河にどんこ舟*が浮かぶ景色は、水郷柳川ならではの特別な風景として知られている。
 川下りのコースとなっているのは、町の中心部、柳川城の掘割である。江戸時代初めに田中吉政が城の防御のために整備したもので、その後は生活用水として長く利用された。防御用に造られた城堀水門や、生活用に造られた階段状の汲水場などが今に残る。
 乗り場は西鉄柳川駅から徒歩5~10分ほどの場所に4か所。10名前後の定員になれば随時出発する仕組みで、片道運行の川下りが基本。両岸にはところどころに北原白秋の詩碑が立ち、水門、「並倉」と呼ばれる3棟の赤レンガ造りの味噌蔵、この地域伝統の漁具である「くもで網」などを見物しながら沖ノ端(御花北門)まで一巡する。所要約1時間。
 毎年2月下旬ごろに、「水落ち」という掘割の一斉清掃が行われ、3月1日にお堀開きとなる。
#

みどころ

川べりの柳が風になびく水路を、歩く速度でゆったりと進むどんこ舟。この地出身の北原白秋の詩情を重ね、実にのどかな時間である。どんこ舟は船頭さんの竿ひとつで進んでいく。いくつもの橋をくぐり、ときに、かがむ必要があるほどの低い橋や、舟の幅すれすれに通る狭い橋などを通っていく。船頭さんの歌や語り口、何より竿さばきが魅力。冬期はこたつ舟になる。
#

補足情報

*どんこ舟:10数名が乗れる程度の小さな木舟。ハゼ類の魚であるドンコに似ていることからこの名前で呼ばれているという。
関連リンク 福岡やながわ観光ガイド(一般社団法人柳川市観光協会)(WEBサイト)
参考文献 福岡やながわ観光ガイド(一般社団法人柳川市観光協会)(WEBサイト)
柳川市(WEBサイト)
パンフレット「柳川の掘割」

2020年04月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。