愛媛県は、四国地方の北西部に位置し、徳島県、高知県に接する。瀬戸内海や宇和海の大小の島々を含み、瀬戸内海を隔てて広島県、山口県と相対する。面積は約5,676km2で四国四県のうち高知県に次ぐ大きさ。11市7郡9町で構成され、県庁所在地は松山市である。
 国道は四国縦貫の松山自動車道、芸予諸島を結ぶ西瀬戸自動車道(瀬戸内しまなみ海道)が通じる他、香川県から工業地帯を経る11号線、山間部を33号線、沿岸部を56号等が通じる。JR予讃線も走る。また、本州、九州を結ぶフェリーが運航されている。
 高知県境には日本最高値のカルスト地形である大野ヶ原がある。高縄半島の一部及び島嶼は瀬戸内海国立公園、宇和島海岸が足摺宇和海国立公園に含まれる。また、西日本最高峰の石鎚山があり、石鎚国定公園域となっている。瀬戸内海・宇和海には200余りの島々があり、海・山両方の美しい自然に恵まれている。
 全般に温暖。瀬戸内海沿岸は冬も暖かく、島嶼部では冬の季節風に加えて瀬戸内海の特色である朝凪・夕凪現象があり、特に夏の夕凪現象は「伊予の夕凪」と言われるほどで非常に蒸し暑い。宇和海沿岸も温暖で亜熱帯植物が自生している。一方で四国山地は夏は冷涼、冬は寒く積雪もみられ、年間降水量が3,000mmを超える場所もある。
 17世紀前半に成立した伊予八藩が1871(明治4)年の廃藩置県で8県となり、1873(明治6)年に石鉄県と神山県が合併して愛媛県が成立。1876(明治9)年には香川県が合併したが、1888(明治21)年にふたたび香川県が分離して現在の愛媛県になった。古事記上巻のイザナギとイザナミによる国生みの神話に出てくる「伊予国を愛比売と謂う」から県名が「愛媛」とされ、全国で唯一神名をつけた県である。
 近代工業は瀬戸内海沿岸地域に発達し、タオル、縫製、紙などの地場産業から成長した資源型の重化学工業が多い。また、陶石を原料とした磁器生産に特色があり四国最大の陶磁器である砥部焼が代表的である。農業は中部・南部の沿岸傾斜地の柑橘類の栽培が代表的で、内陸では稲作やクリ、タバコ栽培が多い。林業は四国山地の山林地帯であることから盛んで杉、檜の良材を算出している。水産業は瀬戸内海沿岸ではヒラメ、カレイ、イワシ、カツオ、サバ等の漁獲が多い他、真珠、ハマチ、真鯛の養殖が全国有数の生産を誇る。
 大山づみ神社、村上水軍、松山城、道後温泉、内子町をはじめとする南予の古い町並み等、多くの文化が伝えられている。山岳信仰の霊峰である石鎚山や、岩屋寺等の名刹も多い。遍路への茶の接待や地区の人々の憩いの場としての茶堂(国の選択無形民俗文化財)も数多く残る。

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愛媛県内の資源一覧

四国八十八ヶ所・お接待の写真

四国八十八ヶ所・お接待 ( 徳島県 徳島市 / 香川県 高松市 / 愛媛県 松山市 / 高知県 高知市 )

四国八十八ケ所めぐりは弘法大師信仰の一つといわれる。  古代・中世の四国は、遍歴や巡礼を重ねる僧侶が修行を行う地であった。そのことは「今昔物語」(11世紀末から12世紀前半の成立)や歌謡集「梁塵秘抄」(12世紀後半に成立)に記されている。四国が修行の地であったのは、四国が仏教の後進地域であったため仏教を根付かせる必要性が...

瀬戸内海の多島海景観の写真

瀬戸内海の多島海景観 ( 広島県 広島市 / 岡山県 倉敷市 / 愛媛県 今治市 / 香川県 直島町 / 徳島県 )

瀬戸内海は、本州西部、四国、九州に囲まれた日本最大の内海で、東西およそ450km、南北15~55 km、面積23,203km2である。灘や湾と呼ばれる広い部分が、瀬戸や海峡と呼ばれる狭い水路で連結された複雑な構造を持つ。平均水深が38.0mと非常に浅い海だが、瀬戸や海峡では水深100mを超える。700以上の島(有人島は約150)がある多島海...

外泊「石垣の里」の写真

外泊「石垣の里」 ( 愛媛県 愛南町 )

愛南町外泊は、幕末から明治時代初期にかけて隣の中泊地区からの分家の移住によってつくられた集落で、入り江に面した急斜面に、高い石垣をめぐらした家々が、山の中腹までひしめき合うように立ち並んでいる。石垣は台風や冬の北西季節風による潮害を防ぐために造られたもので、軒に達するほどの高さがあり、独特の景観を造りだしている。こ...

佐田岬の写真

佐田岬 ( 愛媛県 伊方町 )

瀬戸内海と太平洋を区切るように突出した四国西端の佐田岬半島は、全長約40km、最大幅6km、最小幅500mの日本で最も細長い半島である。半島には、入り江ごとに集落が点在し、段々畑には地域特産の柑橘が栽培されている。岬の先端、潮流の渦まく崖の上に白亜の灯台が立っている。岬に立つと大型船の行き来する豊予(ほうよ)海峡を隔てて佐賀関...

和霊神社・和霊大祭の写真

和霊神社・和霊大祭 ( 愛媛県 宇和島市 )

JR宇和島駅の北にあり、大鳥居*と夏祭りで名高い社。俗に「和霊さま」と呼ばれ、漁業を中心に広く産業の神として、地元の人々はもとより、九州・中国地方にまで知られている。祭神の山家清兵衛公頼(やんべせいべえきんより)は、伊達秀宗の家臣で宇和島藩総奉行として藩政改革に尽くしたが、1620(元和6)年政敵の陰謀で殺害された。その後、...

宇和島城の写真

宇和島城 ( 愛媛県 宇和島市 )

宇和島城は、市の中心、標高73mの丘の上に築かれた平山城で、戦国時代には板島丸串城と呼ばれて西園寺氏の居城であったが、1595(文禄4)年藤堂高虎が入部、翌年から6年の歳月をかけて本格的な築城を行った。築城の名手と言われた高虎が大名として初めて自分の居城につくった城である。その後1615(慶長20・元和元)年に伊達政宗の長子秀宗が...

名勝 天赦園の写真

名勝 天赦園 ( 愛媛県 宇和島市 )

天赦園は1866(慶応2)年 宇和島藩第7代藩主伊達宗紀(むねただ)の隠居所の庭園として建造した、11,240m2の面積を有する池泉廻遊式(ちせんかいゆうしき)庭園で、国指定名勝である。  名前は、伊達政宗が隠居後詠んだ「馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し 残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん」という漢詩に由来し...

うわじま牛鬼まつりの写真

うわじま牛鬼まつり ( 愛媛県 宇和島市 )

うわじま牛鬼まつりは、毎年7月下旬に行われる四国有数の夏まつりの一つで、祭りは3日間におよび、何体もの牛鬼*が市内を練り歩く迫力のパレードや、伝統の宇和島おどり、夜空と宇和海をも彩る花火大会など、熱気あふれるイベントで盛り上がる。  牛鬼パレードでは、数十人の若者に担ぎあげられた牛鬼が、子どもたちが吹き鳴らす「ブーヤ...

宇和島闘牛の写真

宇和島闘牛 ( 愛媛県 宇和島市 )

宇和島近辺の村々で行われてきた闘牛は、起源は定かではないが、土俵を設け本格的に行われるようになったのは約170年前からといわれる。最も盛んだったのは大正末期から昭和初期で、農閑期やお祭りでは盛大に開催されていた。  現在では、宇和島市営闘牛場*において、1月2日、5月3日、8月14日、10月第4日曜日の年4回、定期闘牛大会が開か...

宇和津彦神社秋祭の写真

宇和津彦神社秋祭 ( 愛媛県 宇和島市 )

宇和津彦神社は景行天皇の一子、宇和津彦命を祭る古社で、792(延暦11)年、土佐国高賀茂社から味鉏高彦根命を移し、1648(正保5・慶安元)年には社殿を修営、大己貴命(おおなむちのみこと)を併祀(はいし)した。藩政時代には伊達氏の崇敬が厚かった。毎年10月29日に行われる秋祭では、裏町一丁目の八ツ鹿(やつしか)保存会、大工町の猿...

遊子水荷浦の段畑の写真

遊子水荷浦の段畑 ( 愛媛県 宇和島市 )

「耕して天に至る」という言葉がぴったりの段々畑の集積。住民が石を積み、造成した幅1m、高さ1.5m前後の狭くて細長い畑が、海岸の集落近くから山頂までに続いている壮大な景観。宇和海沿岸部には稲作に適した土地が少なかったことから、人々は山の斜面を開墾し江戸時代の終わりころにはサツマイモの栽培が行われていたが、明治末から大正に...

由良半島の写真

由良半島 ( 愛媛県 宇和島市 / 愛媛県 愛南町 )

由良半島は愛媛県の西南部に位置する豊後水道に長く突き出た半島部で、男性的な渦潮と荒波の中に、大猿、小猿の島々が映え、そそり立つ断崖の至る所に海水浸食の洞、怪礁がみられる。昔は串灘と呼ばれたように、突端まで長さ18km、数え切れないほどの入り江と小半島を長い串で刺したような形をしており、尾根を境に宇和島市津島町と南宇和郡...

滑床渓谷の写真

滑床渓谷 ( 愛媛県 宇和島市 / 愛媛県 松野町 )

滑床渓谷は足摺宇和海(あしずりうわかい)国立公園の一角で、宇和島市と松野町にまたがり、鬼ヶ城山・三本杭・高月山など1,000m級の山々に抱かれた長さ12kmに及ぶ渓谷である。その両側には自然探勝道*が取り付けられており、出合滑(であいなめ)・岳見岩(だけみいわ)・雪輪の滝(ゆきわのたき)・千畳敷(せんじょうじき)などの景勝が...

宇和島鯛めしの写真

写真提供:宇和島鯛めし協同組合

宇和島鯛めし ( 愛媛県 宇和島市 )

「魚どころ」といわれる愛媛県にあっても、産卵期の鯛のおいしさは格別である。一般的に鯛めしといえば、鯛とお米を出汁で炊き込んだものを想像するが、宇和島鯛めしは、特製のたれに新鮮な鯛の刺身と生卵を混ぜ、海草などの薬味と共に熱々のご飯にかけて食べる料理である。宇和島の人々が誇る郷土料理の一つであり、鯛を使った豪華版卵かけ...

内子の町並みの写真

内子の町並み ( 愛媛県 内子町 )

内子の町並みは、町中心街の北に約600mにわたって続く「内子町八日市護国伝統的建造物群保存地区」を中心にして広がる。現在残る町並みは、幕末から大正頃にかけて造られたもので、桟瓦葺(さんがわらぶき)の大屋根、漆喰となまこ壁に美しく調和する出格子(でごうし)や破風飾など、豪壮で重厚な造りに往時の面影を偲ばせている。  一方...

面河渓の写真

面河渓 ( 愛媛県 久万高原町 )

面河渓は石鎚山の南麓に位置する四国最大の渓谷で、結晶片岩を基盤とし、深成岩・変成岩が併入して形成されている。そのため、奇岩・断崖は黒・白・赤と様々な色彩を持ち、地質学上でも変化に富んだ峡谷美である。  面河渓の入口はバス停近くの両岸に70mもの絶壁が迫る関門(かんもん)で、鉢巻岩、面河川と鉄砲石川が合流する想思(そうし...

八釜の甌穴群の写真

八釜の甌穴群 ( 愛媛県 久万高原町 )

面河川の支流黒川の上流、堅いフリント質角岩の川床に生じた甌穴*群である。甌穴が密接して一群となっているのは全国的にも珍しく、国の特別天然記念物に指定されている。大小35個が5群に分かれ、中でも大きいトンネル釜、獅子釜、メガネ釜など、それぞれに名前が付けられている8個の甌穴が目立ち、その形が釜に似ていることから八釜と名付...

岩屋寺の写真

岩屋寺 ( 愛媛県 久万高原町 )

岩屋寺は四国霊場八十八ケ所第45番札所で、創建は815(弘仁6)年といわれている。三宝鳥(さんぽうちょう=コノハヅク)、慈悲声鳥(じひせいちょう=ヤマガラ)、鉦鼓鳥(しょうこちょう=キジバト)、鼓鳥(つづみどり=ホトトギス)、慈悲心鳥(じひしんちょう=ジュウイチ)、鈴鳥(すずどり=キビタキ)、笛鳥(ふえどり=ヒヨドリ)の...

四国カルストの写真

四国カルスト ( 愛媛県 久万高原町 / 高知県 津野町 )

愛媛県と高知県との県境にまたがる約25kmのカルスト*台地で、山口県の秋吉台、福岡県の平尾台に並ぶ日本三大カルストの一つであり、標高が高いことが特徴となっている。  東部の標高1485mの天狗ノ森をピークにゆるやかな起伏の続く天狗高原、ほぼ中央の周辺に位置し、高山植物や200頭余りの牛が放牧され、のどかな風景が広がる姫鶴平(め...

来島海峡の潮流の写真

来島海峡の潮流 ( 愛媛県 今治市 )

今治市とその沖に位置する大島の間の幅5km弱の海峡。「一に来島、二に鳴門、三とさがって馬関瀬戸(ばかんせと)」とうたわれる海の難所で知られ、鳴門海峡・関門海峡と並ぶ日本三大急潮流の一つである。来島海峡は、1日に平均約1000隻もの船が通る日本有数の交通量の多い海峡で、中水道では最大10ノット(時速約18km)の流れとなって、渦潮...

大山祇神社の写真

大山祇神社 ( 愛媛県 今治市 )

大山祇神社は天照大神の兄である大山積大神を祀り、全国に一万社余りある山祇神社と三島神社の総本社といわれる愛媛県内最古の神社である。海の神や山の神として古代から日本総鎮守として尊称されており、多くの武将が祈願してきた。  大山祇神社の本殿、拝殿は国の重要文化財に指定され、格式高く、立派で厳かな雰囲気が感じられる。また...

今治城の写真

今治城 ( 愛媛県 今治市 )

関ヶ原の戦いでの戦功により伊予半国20万石を領した藤堂高虎が、瀬戸内海に面した海岸に築いた大規模な平城。香川高松城、大分中津城と並んで「日本三大水城」の1つに数えられる海の城。海砂が吹き揚げる海辺につくられたため、別名として吹揚城(ふきあげじょう)とも呼ばれる。  1602(慶長7)年に築城を始め、建造物も含めて完成したの...

今治造船風景の写真

写真提供:今治造船株式会社

今治造船風景 ( 愛媛県 今治市 )

世界に名高い「造船長屋」と称され造船所が立ち並ぶ今治市波止浜湾には、来島海峡の急潮を航行する船が潮待ちで数多く立ち寄り、その間に修理を行ったことから、船舶修繕を中心に今治市の造船業が発展したといわれている。  造船業の中核となる今治造船(株)の創業は1901(明治34)年で、今治市周辺の造船所を統合して設立した。その後も...

陸軍芸予要塞来島要塞の写真

陸軍芸予要塞来島要塞 ( 愛媛県 今治市 )

今治市波止浜港から渡船で10分の来島海峡に浮かぶ周囲3kmの小島にある。日露戦争(1904(明治37)年~1905(明治38)年)当時、大日本帝国がロシア艦隊の来襲に備えて造られた芸予要塞がそのまま残っており、砲座跡、展望司令塔、赤レンガの地下兵舎、弾薬庫などが点在し、ツバキ並木の遊歩道で結ばれている。  芸予要塞は1922(大正11)年...

石手寺の写真

石手寺 ( 愛媛県 松山市 )

石手寺は、四国霊場八十八ケ所第51番札所で、道後温泉から東に約1kmのところにある。  728(神亀5)年、伊予大領越智玉純(おちたまずみ)が国家鎮護の道場として創建した。翌年の729(神亀6・天平元)年には、行基(ぎょうき)が薬師如来を刻んで本尊とした。当時は安養寺(あんようじ)と称し、法相宗に属していたが、のちに弘法大師が訪...

太山寺の写真

太山寺 ( 愛媛県 松山市 )

太山寺は、四国霊場八十八ケ所第52番札所で、高浜港の東にそびえる経ケ森の中腹にある。  寺の縁起では587(用明2)年、豊後国臼杵(大分県)の真野(まの)長者が商いのために船で大阪に向かう途中、松山沖で海難に遭った際に、観音菩薩に祈って難を逃れられたことから、そのお礼として豊後の工匠を集めて木組みをした建材を松山まで運び...

伊佐爾波神社の写真

写真提供:伊佐爾波神社

伊佐爾波神社 ( 愛媛県 松山市 )

伊佐爾波神社は、神功皇后・仲哀天皇が、道後温泉に御来湯の際の行宮跡に建てられたといわれ、延喜年間につくられた延喜式には既に記載が見られる古社で1000年以上前から信仰を集めていたことがうかがえる。一時期は湯月八幡宮とも、さらには道後八幡とも呼ばれていた。現在の社殿に建て替えたのは江戸時代の松山3代藩主、松平定長である。大...

伊豫豆比古命神社(通称:椿神社)の写真

写真提供:伊豫豆比古命神社

伊豫豆比古命神社(通称:椿神社) ( 愛媛県 松山市 )

伊豫豆比古命神社は御創建2000年以上の歴史があり、尊称・敬称も親しく椿神社・お椿さんとも慕われ、商売繁昌・縁起開運の神様として全国から崇敬を寄せられている。特に、旧暦の1月7・8・9日に齋行される椿まつりは、善男善女が参詣される大変賑やかなお祭りである。  椿さんの由来は、神社周辺が昔、海原であり津(海の意)の脇の神社、...

松山城の写真

松山城 ( 愛媛県 松山市 )

松山城は松山市の中心地、城山(勝山)山頂に本丸があり、裾野に二之丸(二之丸史跡庭園*)、三之丸(堀之内)がある、広大な平山城である。加藤嘉明(かとうよしあき)が1602(慶長7)年に築城開始。1635(寛永12)年、松平定行が入封し、3年をかけて本壇を改築し三重の連立式天守を築造した。その後、1784(天明4)年、天守が落雷で焼失し...

ロシア兵墓地の写真

ロシア兵墓地 ( 愛媛県 松山市 )

日露戦争で捕虜となり、この地で亡くなったロシア兵の墓が、ロシア兵墓地である。日露戦争が始まった1904(明治37)年、松山市に全国初の収容所が設けられた。松山が捕虜収容所となった理由としては諸説あるが、港があり輸送に便利なこと、気候が温暖であること、港から街まで鉄道があったことなどが理由といわれている。捕虜収容所には、延...

萬翠荘の写真

萬翠荘 ( 愛媛県 松山市 )

萬翠荘は城山公園の南側にあり、旧松山藩主の子孫である久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵の別邸として建てられた建物で、1922(大正11)年、フランス風建築を得意とする建築技師である木子七郎(きごしちろう)によって設計・建築させた純フランス風洋館である。地上3階・地下1階建てで、建築面積は428.78m2、延床面積は887.58m<...

道後温泉本館の写真

写真提供:道後温泉

道後温泉本館 ( 愛媛県 松山市 )

道後温泉は、松山市街の北東端に位置する『坊っちゃん』でおなじみの名湯であり、日本三大古湯の一つ。その道後温泉のシンボルとして、今も多くの湯客に利用されている共同浴場が、道後温泉本館である。近代的旅館の立ち並ぶ温泉街の中央に、1894(明治27)年建築の瓦葺、三層楼の建物が、威風堂々とした姿を見せる。日本の公衆浴場として初...

新居浜太鼓祭りの写真

新居浜太鼓祭り ( 愛媛県 新居浜市 )

一宮(いつく)神社をはじめ新居浜市内各神社の総合例祭ともいうべき祭り。太鼓台は1台重さ約3t、高さ5.5m、長さ12mという巨大な山車であり、金糸銀糸で飾られた50台以上の太鼓台が市内を練り歩くさまは豪華かつ勇壮で、男まつりの異名もあるほど。地域の伝承によれば、神輿に供奉する山車の一種で信仰を対象とした神輿渡御の際、その列に参...

別子銅山跡の写真

別子銅山跡 ( 愛媛県 新居浜市 )

別子銅山は、新居浜市(旧別子山村)四国山地の山中に位置しており、足尾・小坂・日立とともに日本の代表的銅山であった。1691(元禄4)年の開坑に始まり、1973(昭和48)年3月の閉山に至るまで283年の歴史を有する。地中深く掘り進められた坑道の延長は約700km、深さは地下1,000mまで掘り続けられ、総産出量は約65万tにものぼり、新居浜市...

西山興隆寺の写真

西山興隆寺 ( 愛媛県 西条市 )

西条市丹原の西約3.5kmの山中にあり、養老年間(717~724年)に空鉢(くうばち)仙人が草庵を結んだのに始まり、桓武天皇のときには勅願寺となった。以来、千有余年、東予随一の霊地として信仰を集め、1187(文治3)年、源頼朝の帰依を得て、堂宇が造営されたが、現在の本堂は1375(文中4)年の建立で、石垣上に客殿や三重塔などとともに城の...

伊曽乃神社の写真

伊曽乃神社 ( 愛媛県 西条市 )

JR伊予西条駅から南へ3kmほど、樹齢を経た楠・杉が茂る森の中に神明造の社殿が鎮まる。皇祖天照大御神(あまてらすおおみかみ)と国土開発の祖神である武国凝別命(たけくにこりわけのみこと)をお祀りし、御鎮座から1800有余年という長い歴史を有している。延喜式内の名神大社であり、江戸時代には代々の藩主の崇敬を得た由緒がある。  社...

石鎚神社の写真

石鎚神社 ( 愛媛県 西条市 / 愛媛県 久万高原町 )

石鎚神社は日本七霊山の一つ石鎚山を神体山(神しずまります山)とする神社。山麓にたつ口之宮本社(くちのみやほんしゃ)、石鎚山中腹(7合目)の中宮成就社(ちゅうぐうじょうじゅしゃ)と土小屋遥拝殿(つちごやようはいでん)、石鎚山頂の奥宮頂上社(おくのみやちょうじょうしゃ)の4社を総称したものである。  祭神は石鎚毘古命(い...

西条まつりの写真

西条まつり ( 愛媛県 西条市 )

西条まつりは江戸時代から続く伝統的な秋祭りで「豪華絢爛」と形容され、遠方に暮らす西条出身者も仕事を休んで帰省したり、市外からの観光客も数多く訪れる。  五穀豊穣を神に感謝する神事で、市町村合併前の旧西条市にある伊曽乃(いその)神社、嘉母(かも)神社、石岡(いわおか)神社、飯積(いいづみ)神社の4つの神社の例祭の総称で...

武丈公園のサクラの写真

武丈公園のサクラ ( 愛媛県 西条市 )

武丈公園はJR伊予西条駅の南、ひうち灘にそそぐ加茂川(かもがわ)沿いの市民公園にある桜の名所で、背後に標高196mの八堂山(はちどうやま)を控えた眺めは「四国の小嵐山」と称えられるほどで、約1,500本の桜並木は愛媛県有数である。彼岸桜(ヒガンザクラ)や染井吉野(ソメイヨシノ)などの桜並木が加茂川に沿って続き、ロケーションの素...

笹ヶ峰の写真

笹ヶ峰 ( 愛媛県 西条市 / 高知県 いの町 )

標高1,860m、愛媛県西条市と高知県いの町の境に位置し、笹ヶ峰から瓶ヶ森、石鎚山に続く尾根の姿は秀麗で「伊予の三名山」と呼ばれており、これらの石鎚山系は四国の背梁山地を形成している。メインの登山口である笹ヶ峰西条側登山口まではマイカーでアクセスすることができる。  日本二百名山および四国百名山の一つに数えられ、山名はな...

石鎚山の写真

石鎚山 ( 愛媛県 西条市 / 愛媛県 久万高原町 )

西日本最高峰の石鎚山は標高1,982m、四国の屋根であり、西条市と久万高原町の境に位置する日本百名山の一つである。主峰の天狗岳を中心に、弥山、南尖峰の三山からなり、東西に石鎚山系の山々が連なって四国の背梁山地を形成している。  富士山、立山、白山、大峰山、釈迦ヶ岳、大山とともに、日本七霊山の一つにも数えられる信仰の山とし...

卯之町の町並みの写真

写真提供:西予市役所

卯之町の町並み ( 愛媛県 西予市 )

重要伝統的建造物群保存地区に全国で86番目に選定された「卯之町(うのまち)の町」には、歴史人物由来の地や歴史価値の高い建築物が当時の姿そのままに残っている。  白壁、格子戸(こうしど)、半蔀(はじとみ)、卯建(うだつ)などが特徴の江戸末期から昭和初期の建築物などである。  「開明学校」は学制が公布された1872(明治5)年...

肱川あらし(肱川の朝霧、雲海)の写真

写真提供:愛媛県大洲市役所

肱川あらし(肱川の朝霧、雲海) ( 愛媛県 大洲市 )

「肱川あらし」とは、晴れた日の朝、上流の大洲盆地で涵養された冷気が霧を伴い、両岸が山で挟まれた肱川を河口まで流れ出すという珍しい自然現象のことである。これは、大洲盆地と伊予灘との間の夜間の温度差によって起こる現象で、日没1~2時間後から翌日の正午頃まで、寒冷多湿の強風が肱川に沿って流れ、海上へ吹き出すさまをいう。  ...

(金山)出石寺の写真

(金山)出石寺 ( 愛媛県 大洲市 )

大洲市と八幡浜市との境、標高812mの出石山(いずしさん)山頂にあり、石鎚山や大野ヶ原などの四国連山などが一望できる寺院である。境内は豊かな自然林に覆われ、本堂や庫裏、護摩堂、大師堂などが荘厳なたたずまいを見せており、静寂で心休まる雰囲気に包まれている。  本尊である千手千眼観世音菩薩には伝説が残されており、寺伝による...

如法寺の写真

如法寺 ( 愛媛県 大洲市 )

如法寺は、大洲市冨士山(とみすやま)の中腹にある臨済宗の古刹で、もともと室町時代に喜多郡の領主・宇都宮氏によって創立された寺であった。その後、廃寺となったが、大洲藩2代藩主 加藤泰興(かとうやすおき)の命により開かれた寺院で、1669(寛文9)年、深く帰依した高名な禅僧 盤珪(ばんけい)禅師を招いて如法寺を開山した。当初...

大洲城の写真

大洲城 ( 愛媛県 大洲市 )

大洲市内を流れる肱川の河畔に望む大洲城は、鎌倉時代末期、伊予国守護 宇都宮豊房が地蔵ヶ岳に築城されたことが始まりと伝えられている。その後、小早川隆景をはじめ、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治、加藤貞泰ら各大名たちの造営を経て近世城郭が整備され、伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していった。  1888(明治21...

大洲のいもたきの写真

写真提供:愛媛県大洲市役所

大洲のいもたき ( 愛媛県 大洲市 )

「大洲のいもたき」とは、藩政時代から伝わる里芋などのブツ切りを、鉄鍋で煮込む郷土料理のことである。粘り気が強くホクホクとした食感の里芋、鶏肉を中心に、乾しいたけ、こんにゃく等を入れて煮込んだ、醤油ベースのほんのり甘い味が特徴となっている。  「大洲のいもたき」の歴史は、農民が集まる行事「お籠もり」から始まり、農民が...

愛媛県立とべ動物園の写真

写真提供:愛媛県立とべ動物園

愛媛県立とべ動物園 ( 愛媛県 砥部町 )

愛媛県立とべ動物園は1988(昭和63)年に開園し、年間入園者数約45万人に上り、西日本有数の動物種を誇っている。自然の地形を有効に活用するとともに、獣舎配置と近代的な設備を取り入れ、11haの広大な敷地に148種633点(2022年12月末時点)の動物が地理学、分類学、行動学に基づきバランス良く飼育されている。  園内は、ストリート(ゾー...

白猪の滝の写真

白猪の滝 ( 愛媛県 東温市 )

皿ヶ嶺連峰県立自然公園の中にある高さ96mの白猪の滝は三段の滝で、重信川の上流の表川白猪越の渓にかかり、その落下する姿は、まさに自然の偉大さを感じさせる。 四季折々にいろいろな顔を見せる白猪の滝は、春は新緑に萌え、初夏は清涼感溢れる避暑地として、秋は滝を取り巻く木々が錦に染まり、そして冬は幻想的で滝全体が凍結し、まるで...

皿ヶ嶺の写真

皿ヶ嶺 ( 愛媛県 東温市 / 愛媛県 久万高原町 )

皿ヶ嶺は石鎚山系の西部に位置し、皿ヶ嶺連峰県立自然公園に指定されている。山名は山頂の近くに皿のような平坦地があることに由来しており、標高は1,271mである。動植物の宝庫といわれており、特に、山野草の宝庫で四季折々の植物を観賞できる。山頂から、久万高原町や石鎚連峰を望むことができる。  山麓から中腹までは自動車で通行可能...

歌舞伎劇場内子座の芝居の写真

歌舞伎劇場内子座の芝居 ( 愛媛県 内子町 )

内子座はJR内子駅近くにあり、1916(大正5)年、大正天皇の即位を記念して創建された歌舞伎劇場である。建物は正面約20.1m、側面約23.8mの規模で、木造、一部二階建、入母屋造、桟瓦葺、妻入である。大屋根に太鼓櫓をのせ、両袖には2階建の切妻造の櫓風別棟が造られている。内部は桝席、向こう桟敷、花道などが設けられ、電動式の回り舞台も...

瀬戸内しまなみ海道(橋梁群)の写真

写真提供:本州四国連絡高速道路株式会社

瀬戸内しまなみ海道(橋梁群) ( 愛媛県 今治市 / 広島県 尾道市 )

広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ西瀬戸自動車道の橋の愛称。自転車歩行者道、原付道が整備されており、海峡を横断して、自転車や徒歩でも渡ることができる。なお、新尾道大橋は、自動車専用道となっていることから渡船または隣接する尾道大橋を利用することとなる。橋や島々を含む付近一帯が、広域観光圏となっている。  新尾道大橋は、...