松山市は、愛媛県中北部に位置する県庁所在地。西に瀬戸内海、北と東は高縄半島の山々、南は皿ヶ嶺連峰に接している。松山平野の大部分を占めており、三坂峠の山間地から北西部の瀬戸内海に浮かぶ島嶼部に至るまで広い面積を有する。忽那諸島や安居島、鹿島などの島々、海岸一帯は瀬戸内海国立公園域。
 JR予讃線、伊予鉄道の高浜線・郡中線・横河原線、市中心部で運行される同鉄道の軌道市内線が通る。国道は11号、33号、56号、196号、317号、379号、437号などが通じ、松山自動車道の松山インターチェンジがある。1999(平成11)年には松山環状線が全通。航路は中国地方を結ぶ松山観光港、高浜港、三津浜港、空路は松山空港がある。
 1973(明治6)年に愛媛県庁が設置されて県都となり、1889(明治22)年に市制を施行以来、政治・ 経済の中心都市として成長。松山の名は、1602(慶長7)年、加藤嘉明が築城した松山城にちなみ名付けられたといわれている。
 昭和20年代に臨海工業地区が出現し、現コスモ石油、帝人等の化学工業が集中した。地場産業は伊予縞または伊予絣と称された木綿織物で、久留米や備後の絣とともに西日本有数の産出を誇る。また、溜池灌漑により穀倉地帯をなし、米作、野菜、ミカン栽培が盛ん。沿岸には漁港が多く、タイやアジ、サバなどの漁獲がある。他、化学、電気、機械工業、紡績、衣類製造、食料品製造、観光も盛ん。
 正岡子規を輩出し、市立子規記念博物館や句碑も多い。夏目漱石の小説『坊っちゃん』の舞台で「坊っちゃん列車」(伊予鉄道)も走る。国史跡としては久米官衙遺跡群、松山城跡、湯築城跡等、国指定重要文化財として道後温泉本館、石手寺の本堂、一遍上人の生誕地である宝厳寺等がある。国宝として石手寺仁王門、大宝寺の本堂、太山寺の本堂等がある。国指定無形文化財として興居島の船踊り、種田山頭火ゆかりの地や大正時代の欧風建築萬翠荘等がある他、下難波地区には国指定天然記念物のエヒメアヤメ自生南限地帯がある。

観光資源一覧

四国八十八ヶ所・お接待の写真

四国八十八ヶ所・お接待 (徳島県 徳島市 / 香川県 高松市 / 愛媛県 松山市 / 高知県 高知市 )

四国八十八ケ所めぐりは弘法大師信仰の一つといわれる。  古代・中世の四国は、遍歴や巡礼を重ねる僧侶が修行を行う地であった。そのことは「今昔物語」(11世紀末から12世紀前半の成立)や歌謡集「梁塵秘抄」(12世紀後半に成立)に記されている。四国が修行の地であったのは、四国が仏教の後進地域であったため仏教を根付かせる必要性が...

石手寺の写真

石手寺 (愛媛県 松山市 )

石手寺は、四国霊場八十八ケ所第51番札所で、道後温泉から東に約1kmのところにある。  728(神亀5)年、伊予大領越智玉純(おちたまずみ)が国家鎮護の道場として創建した。翌年の729(神亀6・天平元)年には、行基(ぎょうき)が薬師如来を刻んで本尊とした。当時は安養寺(あんようじ)と称し、法相宗に属していたが、のちに弘法大師が訪...

太山寺の写真

太山寺 (愛媛県 松山市 )

太山寺は、四国霊場八十八ケ所第52番札所で、高浜港の東にそびえる経ケ森の中腹にある。  寺の縁起では587(用明2)年、豊後国臼杵(大分県)の真野(まの)長者が商いのために船で大阪に向かう途中、松山沖で海難に遭った際に、観音菩薩に祈って難を逃れられたことから、そのお礼として豊後の工匠を集めて木組みをした建材を松山まで運び...

伊佐爾波神社の写真

写真提供:伊佐爾波神社

伊佐爾波神社 (愛媛県 松山市 )

伊佐爾波神社は、神功皇后・仲哀天皇が、道後温泉に御来湯の際の行宮跡に建てられたといわれ、延喜年間につくられた延喜式には既に記載が見られる古社で1000年以上前から信仰を集めていたことがうかがえる。一時期は湯月八幡宮とも、さらには道後八幡とも呼ばれていた。現在の社殿に建て替えたのは江戸時代の松山3代藩主、松平定長である。大...

伊豫豆比古命神社(通称:椿神社)の写真

写真提供:伊豫豆比古命神社

伊豫豆比古命神社(通称:椿神社) (愛媛県 松山市 )

伊豫豆比古命神社は御創建2000年以上の歴史があり、尊称・敬称も親しく椿神社・お椿さんとも慕われ、商売繁昌・縁起開運の神様として全国から崇敬を寄せられている。特に、旧暦の1月7・8・9日に齋行される椿まつりは、善男善女が参詣される大変賑やかなお祭りである。  椿さんの由来は、神社周辺が昔、海原であり津(海の意)の脇の神社、...

松山城の写真

松山城 (愛媛県 松山市 )

松山城は松山市の中心地、城山(勝山)山頂に本丸があり、裾野に二之丸(二之丸史跡庭園*)、三之丸(堀之内)がある、広大な平山城である。加藤嘉明(かとうよしあき)が1602(慶長7)年に築城開始。1635(寛永12)年、松平定行が入封し、3年をかけて本壇を改築し三重の連立式天守を築造した。その後、1784(天明4)年、天守が落雷で焼失し...

ロシア兵墓地の写真

ロシア兵墓地 (愛媛県 松山市 )

日露戦争で捕虜となり、この地で亡くなったロシア兵の墓が、ロシア兵墓地である。日露戦争が始まった1904(明治37)年、松山市に全国初の収容所が設けられた。松山が捕虜収容所となった理由としては諸説あるが、港があり輸送に便利なこと、気候が温暖であること、港から街まで鉄道があったことなどが理由といわれている。捕虜収容所には、延...

萬翠荘の写真

萬翠荘 (愛媛県 松山市 )

萬翠荘は城山公園の南側にあり、旧松山藩主の子孫である久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵の別邸として建てられた建物で、1922(大正11)年、フランス風建築を得意とする建築技師である木子七郎(きごしちろう)によって設計・建築させた純フランス風洋館である。地上3階・地下1階建てで、建築面積は428.78m2、延床面積は887.58m<...

道後温泉本館の写真

写真提供:道後温泉

道後温泉本館 (愛媛県 松山市 )

道後温泉は、松山市街の北東端に位置する『坊っちゃん』でおなじみの名湯であり、日本三大古湯の一つ。その道後温泉のシンボルとして、今も多くの湯客に利用されている共同浴場が、道後温泉本館である。近代的旅館の立ち並ぶ温泉街の中央に、1894(明治27)年建築の瓦葺、三層楼の建物が、威風堂々とした姿を見せる。日本の公衆浴場として初...