太山寺たいさんじ

太山寺は、四国霊場八十八ケ所第52番札所で、高浜港の東にそびえる経ケ森の中腹にある。
 寺の縁起では587(用明2)年、豊後国臼杵(大分県)の真野(まの)長者が商いのために船で大阪に向かう途中、松山沖で海難に遭った際に、観音菩薩に祈って難を逃れられたことから、そのお礼として豊後の工匠を集めて木組みをした建材を松山まで運び、一夜にして堂宇を建立したといわれ「一夜建立の御堂」として伝えられている。
 739(天平11)年聖武天皇の勅願により、行基が十一面観音像を奉納して以来、6代にわたる歴代天皇(後冷泉、後三条、堀河、鳥羽、崇徳、近衛)が十一面観音像を奉納しており、国の重要文化財に指定されている。
 なお、弘法大師は天長年間(824~834年)に訪れており、護摩供の修法をされて、法相宗から真言宗に改宗している。
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みどころ

現在の本堂*は真野長者の建立から3度目であり、堂内から発見された墨書により1305(嘉元3)年伊予の豪族河野家によって再建されたことが分かった。ちなみに四国八十八ケ所霊場の中で二番目に古く建立されており、1956(昭和31)年国宝に指定された。屋根は入母屋造本瓦葺きで、木造建築としては愛媛県下最大である。
 本堂に向かって右には、聖徳太子堂(法隆寺夢殿と同じ太子像を祀る)、護摩堂、稲荷堂があり、また左上壇には大師堂(1884(明治17)年再建)、長者堂(真野長者を祀る)、身代観音がある。かつて聖徳太子が伊予の国を訪れた際、この寺と縁を持たれたと伝わり、特に1月の成人の日の「太子祭」には愛媛県内外から入試祈願に大勢の人が訪れている。
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補足情報

*本堂:1305(嘉元3)年河野氏の再建。間口7間、奥行9間、入母屋造、本瓦葺。蟇股が華麗なほかは簡素で豪放な和様建築で、一部に唐様・天竺様の特色をもつ。厨子のある内陣が土壇であるのもめずらしい。