石手寺いしてじ

石手寺は、四国霊場八十八ケ所第51番札所で、道後温泉から東に約1kmのところにある。
 728(神亀5)年、伊予大領越智玉純(おちたまずみ)が国家鎮護の道場として創建した。翌年の729(神亀6・天平元)年には、行基(ぎょうき)が薬師如来を刻んで本尊とした。当時は安養寺(あんようじ)と称し、法相宗に属していたが、のちに弘法大師が訪問した際に真言宗へと改められた。鎌倉末期には河野氏によって堂塔伽藍が修築・再建され、隆盛を極めたが、その後の火災で多くの建物を焼失した。しかし、今なお二王門(国宝)・本堂(国の重要文化財)・三重塔・鐘楼・護摩堂・阿弥陀堂などが整然と立ち並び、高さ16mの巨大な大師像も立っている。
 参道には、参拝客の列が切れることがないほど大勢賑わっている。
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みどころ

石手寺は、遍路の開祖、衛門三郎伝説ゆかりの寺である。松山市の南部、荏原の庄(現、恵原町)の庄屋であった衛門三郎は、何度も托鉢に訪れる旅の僧を弘法大師とは知らず、追い払おうとして僧が手にしていた鉄鉢を竹ぼうきで叩き落とした。鉄鉢は八つに割れ、その翌日から、衛門三郎の八人の子供は次々に亡くなった。その後、衛門三郎は旅の僧が弘法大師だったことを知り、許しを乞うために大師を追って四国内を巡拝し、これが四国遍路のルーツといわれている。衛門三郎が大師の姿を捜して、まず最初に訪ねたのが「札始大師堂」(現、小村町)で、現在の堂は建て替えられたものであるが、中には衛門三郎が大師の鉄鉢を竹ぼうきで叩き落とす様子を描いた絵が飾られている。また、衛門三郎が叩き落として割った鉄鉢の八つの破片は周囲に飛び去って、山中に落ち、それぞれ落ちたところが窪みとなって清水が湧くようになったと言われており、これが「八窪」である。このうちの一か所は「鉢の水大師」と呼ばれ、今も水が湧いている。
関連リンク 石手寺(WEBサイト)
参考文献 石手寺(WEBサイト)
『伊予の四国遍路ガイドブック』ガイドブック 公益財団法人えひめ地域政策研究センター

2022年11月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。