箸蔵寺はしくらじ

JR土讃線阿波池田駅から北東4kmほどに箸蔵寺がある。吉野川北岸にそびえる箸蔵山(約720m)の南斜面、中腹から山頂付近を占める広大な寺域である。
 高野山金剛峰寺の『由来略記』によれば、828(天長5)年、当山で修行中の空海が金毘羅神からの託宣*を受けて七堂伽藍を建立したと伝え、俗に金刀比羅奥ノ院ともいう。慶長年間(1596~1615年)には、金毘羅信仰の隆盛に伴い松尾寺(現、金刀比羅宮)*と並ぶ二大本山として成長した。神仏習合の寺*である。
 山麓からロープウェイを乗り継いで山内に入ると、いきなり本坊となるが、旧参道から登っていくと、中腹にある山門が入り口になる。杉・檜・松などの老樹がうっそうと茂る境内には八棟造(やつむねづくり)、銅板葺の荘厳な本堂ならぬ本殿をはじめ、観音堂・薬師堂・鐘楼・護摩殿など30余の伽藍が甍を連ね壮観である。本殿、護摩殿、薬師堂、鐘楼堂、天神神社本殿、方丈の6棟が国指定重要文化財となっている。四国霊場八十八ケ所番外札所として参詣者が多い。
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みどころ

山門から入って境内の流れを見ることにしよう。山門に隣接して高灯籠があり、ここから玉砂利の参道が始まる。北へ行くと鞘橋。西へ向かうと石段が続き、さらに北へ向かうと本坊に至る。本坊の奥に護摩殿があり、その前庭や本殿への参道には、市川海老蔵(七代目市川團十郎)並びに息子の八代目市川團十郎奉納の石灯籠が並んでいる。金毘羅大権現の扁額がある鳥居をくぐって長い階段の上っていく。右に鐘楼堂と薬師堂、左に天神社本殿、上り詰めたところが箸蔵寺本殿となる。箸蔵寺は完全に神仏習合*である。本殿の前庭は東西約150mあり、東端に観音堂がある。鞘橋から本殿まで続く石段の両側には、九州から北海道、旧朝鮮・満州などから奉納された玉垣・石灯籠・満願石などが、延々と続く。江戸末期の再建ながら神仏習合の様式が良く残っている。
 寺名から、毎年8月4日は、箸の日で、箸蔵寺では箸供養を行う。
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補足情報

*託宣:高野山金剛峰寺南山沙門霊瑞による『由来略記』によると、空海が出現した妖怪を調伏したとき、金毘羅神があらわれ、「箸を挙ぐる者、我誓ってこれを救わん」、「衆生救済のため、讃岐象頭山と箸蔵山を往来するゆえ、当地に道場を建てよ」という託宣があり、薬師如来像を刻んで安置し、堂宇を建立したという。金毘羅の祭礼で使われた祭具は、箸蔵寺に運ばれるという伝承が古くから存在していたのである。こうした関係から、箸蔵寺が金刀比羅宮の奥の院になっているのである。寺名は「箸を蔵める寺」からきている。
*松尾寺(現、金刀比羅宮):真言宗の象頭山松尾寺金光院であり、神仏習合で象頭山金毘羅大権現と呼ばれた。明治維新後の神仏分離・廃仏毀釈により松尾寺は廃寺となった。現在ある松尾寺は子坊が移転したもの。
*神仏習合の寺:箸蔵寺は、仁和寺の御室派であり、仁和寺の門跡が天皇家出身であったため、廃仏毀釈の難から逃れることができたという。
関連リンク 箸蔵寺
参考文献 箸蔵寺
『徳島県の歴史散歩』

2023年02月現在

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