嚴島神社
嚴島神社 内の資源
嚴島神社は原始林の深い緑を背後にし、入江の海のなかに木造建物が建ち並ぶ日本でも珍しい神社。広島市の中心部から直線距離で約15km南西に位置する厳島に鎮座する。厳島には、宮島口桟橋からフェリーでわたるのが一般的だが、広島市街から高速船も就航している。
厳島は瀬戸内海に浮かぶ島々のなかでも標高約530mとひときわ高い弥山を擁し、その山容のために古来より信仰の対象として周辺の人々が崇めてきた神の島である。古くは弥山を中心とする島全体をご神体とし、ここに宿る神を厳島神として遥か離れた場所から拝むことから信仰が始まったとされ、そののち、次第に島の水際にも社殿が形成されていったものと考えられる。神社の創建は593(推古天皇元)年、佐伯鞍職(さえきくらもと)によると伝える。御祭神は海の神としての宗像大社と同じ三女神*。その後、平清盛をはじめとする平家一門からの篤い崇敬を受け、1168(仁安3)年に寝殿造の様式を取り入れた海上社殿に修造した。このとき造営された社殿は鎌倉時代に焼失したが、1241(仁治2)年に再建、現在残る主要殿舎はこのときに造営されたもの。海に建つ木造建物として過酷な環境下にありながら、歴代政権の厚い庇護に支えられて、古い様式を今日に伝える。
近世までは、平清盛は金銀の優美な装飾が施された「平家納経」を奉納、豊臣秀吉は大経堂「千畳閣」を建立するなど神仏習合の状態にあったが、1868(明治元)年の神仏分離令により、嚴島神社にあった仏像等は島内の寺院に遷されている。
厳島全体が神と捉えられていたため、木を切ったり土を削ることでご神体を傷つけないようにと潮の満ち引きのある場所に嚴島神社は造られたと言われる。平安貴族の住宅であった寝殿造りを社殿建築に移したとされ、本社と摂社客(まろうど)神社などの主要部と廻廊、能舞台や大鳥居などその他の建物で構成される。神の山である弥山の深々とした緑に覆われた山容を背景として、海上に鮮やかな朱塗りの社殿群を展開するという、他に類を見ない大きな構想の下に独特の景観を創り出している。
いつくしまの呼び名は、古くは島そのものが神として信仰されていたこと、「神を斎(いつ)き祀(まつ)る島」に由来すると言われる。
厳島は瀬戸内海に浮かぶ島々のなかでも標高約530mとひときわ高い弥山を擁し、その山容のために古来より信仰の対象として周辺の人々が崇めてきた神の島である。古くは弥山を中心とする島全体をご神体とし、ここに宿る神を厳島神として遥か離れた場所から拝むことから信仰が始まったとされ、そののち、次第に島の水際にも社殿が形成されていったものと考えられる。神社の創建は593(推古天皇元)年、佐伯鞍職(さえきくらもと)によると伝える。御祭神は海の神としての宗像大社と同じ三女神*。その後、平清盛をはじめとする平家一門からの篤い崇敬を受け、1168(仁安3)年に寝殿造の様式を取り入れた海上社殿に修造した。このとき造営された社殿は鎌倉時代に焼失したが、1241(仁治2)年に再建、現在残る主要殿舎はこのときに造営されたもの。海に建つ木造建物として過酷な環境下にありながら、歴代政権の厚い庇護に支えられて、古い様式を今日に伝える。
近世までは、平清盛は金銀の優美な装飾が施された「平家納経」を奉納、豊臣秀吉は大経堂「千畳閣」を建立するなど神仏習合の状態にあったが、1868(明治元)年の神仏分離令により、嚴島神社にあった仏像等は島内の寺院に遷されている。
厳島全体が神と捉えられていたため、木を切ったり土を削ることでご神体を傷つけないようにと潮の満ち引きのある場所に嚴島神社は造られたと言われる。平安貴族の住宅であった寝殿造りを社殿建築に移したとされ、本社と摂社客(まろうど)神社などの主要部と廻廊、能舞台や大鳥居などその他の建物で構成される。神の山である弥山の深々とした緑に覆われた山容を背景として、海上に鮮やかな朱塗りの社殿群を展開するという、他に類を見ない大きな構想の下に独特の景観を創り出している。
いつくしまの呼び名は、古くは島そのものが神として信仰されていたこと、「神を斎(いつ)き祀(まつ)る島」に由来すると言われる。

みどころ
日本で唯一、潮の満ち引きのある場所に建つ寝殿造りの社殿群と大鳥居から成る嚴島神社。本社を中心とする左右の廻廊でつながる客神社、天神社、能舞台など華やかで神秘的な建築美が背景に広がる自然と調和し、人々を魅了する。嚴島神社は干満によって異なる姿を見せる。満潮時には大鳥居と社殿の優美な姿が青い海に浮かび上がり、干潮時には鳥居の足元まで歩いて渡ることができ迫力を間近に感じることができる。日没後はライトアップされ、昼間とは異なる幻想的な光景も必見。
嚴島神社は海側からが正面であり、平清盛の時代は海上の大鳥居をくぐって参拝していた。遊覧船を利用し、往時に思いを馳せながら、海上からの景色も楽しみたい。
嚴島神社が建つ厳島は弥山を中心とする島全体をご神体とする信仰の島。806(大同元)年の弘法大師の開創以来、山岳信仰の霊峰として崇められてきた弥山の原始林もあわせて楽しみたい。弘法大師が100日間の修行をしたという弥山本堂や“消えずの火”が1200年以上も燃え続けている霊火堂、様々な奇岩などみどころが多い。
嚴島神社は海側からが正面であり、平清盛の時代は海上の大鳥居をくぐって参拝していた。遊覧船を利用し、往時に思いを馳せながら、海上からの景色も楽しみたい。
嚴島神社が建つ厳島は弥山を中心とする島全体をご神体とする信仰の島。806(大同元)年の弘法大師の開創以来、山岳信仰の霊峰として崇められてきた弥山の原始林もあわせて楽しみたい。弘法大師が100日間の修行をしたという弥山本堂や“消えずの火”が1200年以上も燃え続けている霊火堂、様々な奇岩などみどころが多い。

補足情報
*宗像大社と同じ三女神:市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、 田心姫命(たごりひめのみこと)、 湍津姫命(たぎつひめのみこと)。天照大御神(あまてらすおおみかみ)の子。海の神、交通運輸の神、財福の神、技芸の神等として厚く信仰されている。
*「宮島」と「厳島」:「宮島」という名称は、「お宮(嚴島神社)がある島」ということで呼ばれるようになったといわれており、地図上での島の名称は「厳島」。現在は「宮島」が広く使われているが、使い分けの定義はなく2つの地名が併存している。
*「宮島」と「厳島」:「宮島」という名称は、「お宮(嚴島神社)がある島」ということで呼ばれるようになったといわれており、地図上での島の名称は「厳島」。現在は「宮島」が広く使われているが、使い分けの定義はなく2つの地名が併存している。
関連リンク | 嚴島神社(WEBサイト) |
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参考文献 |
嚴島神社(WEBサイト) 文化遺産オンライン 厳島神社(WEBサイト) 世界遺産一覧表記載推薦書 日本/厳島神社(WEBサイト) 一般社団法人宮島観光協会(WEBサイト) Dive! Hiroshima ひろしま公式観光サイト(WEBサイト) |
2025年02月現在
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