鳥取東照宮とっとりとうしょうぐう

鳥取東照宮は鳥取駅の北東に位置し、車で10分、路線バス15分で到達する。鳥取東照宮はその名前のとおり、日光東照宮の分霊である因幡東照宮として1650(慶安3)年に建立された。 
 鳥取藩を代々率いた池田家は徳川家康の信任が厚く、また、初代藩主池田光仲は家康の曾孫であったことから分霊が許されたのである。造営には日光東照宮を手がけた幕府お抱えの棟梁があたり、以降、鳥取東照宮は鳥取藩と江戸幕府の関係を内外に誇示する役割を果たした。明治維新後は政府の神仏分離政策の影響を受けて樗谿(おうちだに)神社と改称されたが2011(平成23)年に現在の鳥取東照宮に戻った。本殿・拝殿・弊殿・唐門は1954(昭和29)年に国の重要文化財に指定されている。
 鳥取東照宮は鳥取市の北東部、鳥取城から続く丘陵地である水道山と大隣寺山に挟まれた谷にあり、この谷は江戸時代には鳥取藩の水源地であったため水道谷と呼ばれていた。鳥取城から水道谷までのエリアには長田神社、興禅寺、観音院などの池田家と鳥取藩に縁のある社寺が集積する歴史ゾーンとなっている。また、周辺の照葉樹林や渓流は古来の植生が現存していることから、1981(昭和56)年に「樗谿神社(現、鳥取東照宮)社叢」として鳥取市の天然記念物に指定されている。
#

みどころ

鳥取東照宮が立地する水道谷の入口は樗谿公園として環境保全がされており、参道の入口には鳥取市歴史博物館 やまびこ館が設置されている。ここから樗谿川の渓流に沿って参道を進むと東照宮の随神門があり、美しい石畳の向こうに本殿・拝殿・幣殿がある。
 本殿は正面3間、側面2間で流造、檜皮葺(ひわだぶき)、拝殿・幣殿は両殿接続の入母屋造、柿葺(こけらぶき)である。彩色がほとんど無い白木のままの総ケヤキ造りと桃山風の飾金具が特徴である。日光東照宮の造営にあたった棟梁を招聘した歴史から、拝殿の桁にある鷹の彫刻は左甚五郎作と伝えられている。
 鳥取東照宮は歴史的建造物としての価値だけでなく、神社が長年にわたって維持してきた古来の植生、そして水道谷であったことによる貯水池と渓流などの自然環境が醸し出す静謐な空間が大きな魅力となっている。
関連リンク 一般社団法人鳥取市観光コンベンション協会
参考文献 一般社団法人鳥取市観光コンベンション協会
「鳥取県の歴史散歩」山川出版社,鳥取県の歴史散歩編集委員会編

2024年06月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。

あわせて行きたい