三徳山三佛寺
三徳山三佛寺(みとくさんさんぶつじ)は、鳥取県東伯郡三朝町の三徳山にある天台宗の仏教寺院。三徳川の渓谷に沿った樹林の中を、三朝温泉からバス15分、倉吉駅からバス40分で到達する。
760(慶雲3)年に役行者*が開山したとされる。849(嘉祥2)年、慈覚大師円仁により阿弥陀・釈迦・大日の三つの仏が安置されたことから三佛寺と呼ばれるようになった。三徳山の山麓には輪光院・皆成院・正善院の三つの宿坊と本堂及び宝物殿がある。本堂は1839(天保10)年に再建されたものである。本堂裏から修験のための参道を登って行くとカズラ坂、クサリ坂などの急斜面と岩場を経て、文殊堂・地蔵堂・鐘楼堂、観音堂に到達する。さらに馬の背の稜線を登ると国宝に指定されている投入堂(なげいれどう)と呼ばれる奥の院がある。文殊堂と地蔵堂は急斜面に張り付いた単層舞台造で正面4間、側面3間、柿葺(こけらぶき)の小堂で、文殊堂は安土桃山時代、地蔵堂はさらに古く室町時代末期の建立とされる。また、険しい稜線に張り付いた鐘楼堂は重量2tの鐘をどのように運び上げたのかという不思議さを残す。観音堂は岩窟にはめ込まれた小堂で江戸時代前期の建立とされる。
これらの山岳寺院群は、山上の社閣が寺の所管でありながら権現を祀る鳥取藩の「宮所」として扱われていたため、明治維新の廃仏毀釈を免れて往時の姿がそのまま維持されている。麓にある三朝温泉と併せて文化庁の日本遺産「六根清浄と六感治癒の地〜日本一危ない国宝鑑賞と世界屈指のラドン泉〜 」に指定されている。また、中国三十三観音霊場*の第三十一番札所である。
760(慶雲3)年に役行者*が開山したとされる。849(嘉祥2)年、慈覚大師円仁により阿弥陀・釈迦・大日の三つの仏が安置されたことから三佛寺と呼ばれるようになった。三徳山の山麓には輪光院・皆成院・正善院の三つの宿坊と本堂及び宝物殿がある。本堂は1839(天保10)年に再建されたものである。本堂裏から修験のための参道を登って行くとカズラ坂、クサリ坂などの急斜面と岩場を経て、文殊堂・地蔵堂・鐘楼堂、観音堂に到達する。さらに馬の背の稜線を登ると国宝に指定されている投入堂(なげいれどう)と呼ばれる奥の院がある。文殊堂と地蔵堂は急斜面に張り付いた単層舞台造で正面4間、側面3間、柿葺(こけらぶき)の小堂で、文殊堂は安土桃山時代、地蔵堂はさらに古く室町時代末期の建立とされる。また、険しい稜線に張り付いた鐘楼堂は重量2tの鐘をどのように運び上げたのかという不思議さを残す。観音堂は岩窟にはめ込まれた小堂で江戸時代前期の建立とされる。
これらの山岳寺院群は、山上の社閣が寺の所管でありながら権現を祀る鳥取藩の「宮所」として扱われていたため、明治維新の廃仏毀釈を免れて往時の姿がそのまま維持されている。麓にある三朝温泉と併せて文化庁の日本遺産「六根清浄と六感治癒の地〜日本一危ない国宝鑑賞と世界屈指のラドン泉〜 」に指定されている。また、中国三十三観音霊場*の第三十一番札所である。
みどころ
投入堂は垂直に切り立った絶壁の窪みに建てられた他に類を見ない建築物である。正面2間、側面1間、桧皮葺の単層、舞台造の小堂。奈良時代に役行者が法力をもってこの岩窟に投げ入れたという伝えられる程、その建築方法に驚かされる。堂内には平安時代末のものとされる日本最古の蔵王権現像を始めとして7体の蔵王権現(ざおうごんげん)像が安置されていた。現在は全て宝物殿に納められている。
参拝は、参道入口から長い歴史を感じさせる摩耗した石段を上がっていく。宿坊、宝物殿を過ぎて、さらに石段を上がった先に本堂がある。参道入口から本堂まで距離にして300mで参拝できるが、投入堂までは距離900m、標高差200m弱、往復2時間弱の険しい参拝登山となる。このため、本堂裏の入峰修行受付所において必ず靴と服装のチェックを受け入山許可を得る。また、冬季と荒天時は入山禁止となる。修行受付所を過ぎて朱色の宿入橋(しゅくにゅうばし)を渡ると霊地に入り、ここからが峰入り(修行の始まり)となる。カズラ坂、行者屋敷跡、願掛けの石段の修行の舞台となった険しい登山道を上ると文殊堂直下のクサリ坂に出る。ここが最も険しい処で鎖を掴みよじ登る。文殊堂の手すりの無い「廻り縁側」からは大山が遠望できる。地蔵堂を過ぎると馬ノ背・牛ノ背と呼ばれる痩せた稜線となる。岩窪にはめ込まれた観音堂の裏を廻り、投入堂が間近に眺められる処が参拝登山の終点となる。
このように三徳山三佛寺の見どころは開山から1300年続いている修行の場としての歴史を自ら体感できることにある。それは最高地点にある投入堂だけでなく、入山途上に盛られる様々な修行の跡や建造物からも感じられる。
なお、日本の山岳信仰の歴史を見ると、参拝登山ができない人々(特に女人禁制の山では)を対象として山麓に参拝のための遙拝所(ようはいしょ)が設けられていることが多い。三佛寺においても、県道21号線・三徳山駐車場付近から三徳川を渡った場所に投入堂遙拝所が設けられている。眺望の良いこの場所からは断崖絶壁の窪みに張り付いた投入堂の姿を双眼鏡で眺めることができる。この遙拝所からの投入堂参拝と本堂参拝、そして宝物殿に収納されている7体の蔵王権現(ざおうごんげん)像の参拝により、三徳山三佛寺の信仰登山を体験することができよう。
参拝は、参道入口から長い歴史を感じさせる摩耗した石段を上がっていく。宿坊、宝物殿を過ぎて、さらに石段を上がった先に本堂がある。参道入口から本堂まで距離にして300mで参拝できるが、投入堂までは距離900m、標高差200m弱、往復2時間弱の険しい参拝登山となる。このため、本堂裏の入峰修行受付所において必ず靴と服装のチェックを受け入山許可を得る。また、冬季と荒天時は入山禁止となる。修行受付所を過ぎて朱色の宿入橋(しゅくにゅうばし)を渡ると霊地に入り、ここからが峰入り(修行の始まり)となる。カズラ坂、行者屋敷跡、願掛けの石段の修行の舞台となった険しい登山道を上ると文殊堂直下のクサリ坂に出る。ここが最も険しい処で鎖を掴みよじ登る。文殊堂の手すりの無い「廻り縁側」からは大山が遠望できる。地蔵堂を過ぎると馬ノ背・牛ノ背と呼ばれる痩せた稜線となる。岩窪にはめ込まれた観音堂の裏を廻り、投入堂が間近に眺められる処が参拝登山の終点となる。
このように三徳山三佛寺の見どころは開山から1300年続いている修行の場としての歴史を自ら体感できることにある。それは最高地点にある投入堂だけでなく、入山途上に盛られる様々な修行の跡や建造物からも感じられる。
なお、日本の山岳信仰の歴史を見ると、参拝登山ができない人々(特に女人禁制の山では)を対象として山麓に参拝のための遙拝所(ようはいしょ)が設けられていることが多い。三佛寺においても、県道21号線・三徳山駐車場付近から三徳川を渡った場所に投入堂遙拝所が設けられている。眺望の良いこの場所からは断崖絶壁の窪みに張り付いた投入堂の姿を双眼鏡で眺めることができる。この遙拝所からの投入堂参拝と本堂参拝、そして宝物殿に収納されている7体の蔵王権現(ざおうごんげん)像の参拝により、三徳山三佛寺の信仰登山を体験することができよう。
補足情報
*役行者:奈良時代、修験道の開祖と言われている人物。
*中国三十三観音霊場:第一番札所岡山市西大寺に始まり、第三十三番札所鳥取市大雲院で巡礼満願を達成する霊場で、岡山・広島・山口・島根・鳥取の中国五県にまたがるものである。開創は新しいが、自然の風光に富んだ旅情豊かな各地を結ぶ巡拝路は、観光を兼ねた巡礼の多い現代にふさわしい。
*投入堂に類似した堂として鳥取県若桜町に不動院岩屋堂がある。投入堂と同様に岩窟内にある舞台造りの小堂である。15世紀の建立と言われ、国の重要文化財となっている。
*中国三十三観音霊場:第一番札所岡山市西大寺に始まり、第三十三番札所鳥取市大雲院で巡礼満願を達成する霊場で、岡山・広島・山口・島根・鳥取の中国五県にまたがるものである。開創は新しいが、自然の風光に富んだ旅情豊かな各地を結ぶ巡拝路は、観光を兼ねた巡礼の多い現代にふさわしい。
*投入堂に類似した堂として鳥取県若桜町に不動院岩屋堂がある。投入堂と同様に岩窟内にある舞台造りの小堂である。15世紀の建立と言われ、国の重要文化財となっている。
関連リンク | 三徳山三佛寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
三徳山三佛寺(WEBサイト) 「鳥取県の歴史散歩」山川出版社 鳥取県の歴史散歩編集委員会編 |
2024年08月現在
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