保津川ほづがわ

丹波高地に発する大堰川(おおいがわ)の中流部にあたり、亀岡盆地南東端から京都盆地西端の嵐山までの約16kmをいい、古生層の山地を曲流しながら峡谷をなして流れるので保津峡ともいう。嵐山渡月橋から下流は桂川と呼ばれている。
 保津川下り(乗船時間約2時間)では、様々な景観が楽しめる。乗船場はJR嵯峨野線亀岡駅から徒歩8分の位置にあり、またトロッコ亀岡駅から保津川下りの亀岡乗船場までは連絡バスで10分。下船場は嵐山にあり、散策しながら渡月橋や嵐電嵐山駅に到着する。
 江戸時代までは、筏により丹波の産物、木材や瓦などを平安京に運んでいたが、保津川が急流で狭隘なため輸送には限界があった。1606(慶長11)年に嵯峨の豪商「角倉了以(すみのくらりょうい)*」が峡谷の河床を改修し、舟での輸送を可能にした。明治時代になり車道や鉄道が建設され物資輸送の主役が陸送へと移行し水運がすたれていく。明治40(1907)年に保津川遊船会社が設立されて観光船が運行され、峡谷の美しさが人気を集め現在に至っている。
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みどころ

保津川は激流や深渕があり、大岩・奇岩巨石が点在するなど変化に富んでおり、岩山・松山・雑木山、桜に紅葉と、自然は四季を通じてさまざまの顔*を見せる。また岩には船頭のさす竿の跡やもどり舟を人力で引きあげた綱の跡が、ところどころについており舟下りの歴史を物語っている。峡谷一帯はサクラ、ツツジ、カエデなどが多く、四季を通じて景観に恵まれている。また様々なラフティングのコースもあり家族客にも気軽に楽しめる。
 熟練した船頭が棹、舵、櫂で操り、岩の間をすり抜けて行くが、時々水しぶきを被った客から悲鳴が上がることもあるが、これも一つの楽しみでもある。船から見る渓谷の美しさもさることながら、峡谷の崖を走るトロッコ鉄道も垣間見えその美しい車両の景観と、客車の乗客とのやり取りも楽しめる。
 観光的に様々な魅力のある嵐山からトロッコ列車で上流まで溯り、帰りは保津川下りと往復で違った位置・角度から保津川渓谷の自然や嵐山周辺の散策を楽しむことができるのがこのエリアの大きな魅力でもある。
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補足情報

*角倉了以:1554~1614。近世初頭の京都の豪商、河川開墾土木工事の大家、朱印船貿易家。土木事業では、1605(慶長10)年に丹波(たんば)・山城(やましろ)を結ぶ大堰川(現在の保津川)の疎通を計画、翌年これを完成したほか、幕命により富士川、天竜川の疎通を行い、京都では高瀬川を開削(かいさく)した。この結果、角倉家はこれら河川の通船支配権を獲得し、また搬出材木によって上方(かみがた)の有力材木商となるなど多大の経済的利益も得た。
*さまざまな顔・保津川の見どころ:上流部から主な見どころは以下のとおりである。
「小鮎の滝」 高低差約2mの滝で、小さな鮎では泳ぎあがれないと言われているので名がついている。
「殿の漁場」 丹波亀山のお殿様が魚釣りを楽しまれたところ。水深約10m、保津川で2番目に深い。
「竿の跡」 長い年月の間、同じ個所に竿を突く事により窪んだ跡が出来ている。
「綱の跡」 下った船を曳き上げる際に綱が岩に擦れて出来た傷跡が残っている。
「書物岩」 本を横に積んだ時のような模様の地層が見られる。
「河鹿(蛙)岩」 河鹿カエルが谷川の岩間に住み外見はグロテスクであるが、雄が美声を発する。流れの綺麗な川に生息、朝、夕方に泣く。このカエルにそっくりな岩。
「大悲閣」 保津川の開削工事で亡くなった人々の菩提を弔うため、角倉了以が慶長19年(1614)、千光寺(本尊は千手観音菩薩)を川を見渡せる現在地に移動させたもの。現在は、境内には本堂と客殿が残るのみであるが、客殿には法衣姿の木造の像が、石割斧を持ち、片膝を立てて眼下の保津川を見守っている。
関連リンク 亀岡市観光協会(WEBサイト)
参考文献 亀岡市観光協会(WEBサイト)
保津川遊船企業組合(WEBサイト)
「京都府の歴史散歩 下」山川出版社
京都市観光協会 京都観光Navi(WEBサイト)

2025年05月現在

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