願成就院
伊豆箱根鉄道韮山駅から南に約1.5km、国道136号線沿いにある。1189(文治5)年、源頼朝の奥州進攻にあたり戦勝祈願のため北条時政*1が建立したと、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』にも記載*2がある古刹。鎌倉時代初期の運慶*3作の阿弥陀如来坐像をはじめ、不動明王、毘沙門天などの仏像群*4が開創とともに奉納されたことが『吾妻鏡』に記されており、現在も五仏が安置されており、すべて国宝に指定されている。
現在も遺っている古い建物は、1789(寛政元)年に建てられた茅葺きの本堂のみであるが、境内には北条時政、足利茶々丸*5の墓があり、寺の北200mには政子産湯ノ井戸がある。また、1973(昭和48)年の発掘調査により、境内とその隣接地や裏山などで『吾妻鏡』に記載されていた南塔跡・南新御堂跡や出土品などが確認され、時政・義時・泰時の北条家3代にわたり造営建立した願成就院跡であることが判明し、史跡に指定されている。
現在も遺っている古い建物は、1789(寛政元)年に建てられた茅葺きの本堂のみであるが、境内には北条時政、足利茶々丸*5の墓があり、寺の北200mには政子産湯ノ井戸がある。また、1973(昭和48)年の発掘調査により、境内とその隣接地や裏山などで『吾妻鏡』に記載されていた南塔跡・南新御堂跡や出土品などが確認され、時政・義時・泰時の北条家3代にわたり造営建立した願成就院跡であることが判明し、史跡に指定されている。
みどころ
願成就院での見どころは何と言っても運慶作の仏像群。写実的で力強い作風は鎌倉時代の息吹を率直に感じさせてくれる。本尊の阿弥陀仏坐像は逞しさにあふれ、たっぷりとしたフォルムで観るものを圧倒する。
不動明王及二童子立像は憤怒の形相の不動明王があくまでも清浄無垢な童子ときかん気が強そうな童子の二人を引き連れる姿はダイナミックな動きがあり、仏師の卓抜な技量を感じさせる。毘沙門天立像の端正な面相を表わし均整がとれた力強い姿は、どこか東国武士の理想の姿のようにも見え興味深い。
願成就院について、吉川英治の『新平家物語』では、「橋からつづく守山の木の間道は、願成就院の三重ノ塔の横へ出る。ここは、北条家の菩提寺であり、塔は、かの女の父、平四郎時政が建てたものである。かの女は、梛の木蔭に佇んで、息をやすめた。・・・中略・・・ふたりの影が、三重ノ塔の横から、守山の沢道を、寄り添いながら、おずおず、降りて行くのが見える」など、流人となった源頼朝と北条政子の逢瀬の場所として描かれている。
この古寺の周辺は北条氏が鎌倉期を支配する出発点となるところでもあり、歴史のロマンを感じさせてくれる。
不動明王及二童子立像は憤怒の形相の不動明王があくまでも清浄無垢な童子ときかん気が強そうな童子の二人を引き連れる姿はダイナミックな動きがあり、仏師の卓抜な技量を感じさせる。毘沙門天立像の端正な面相を表わし均整がとれた力強い姿は、どこか東国武士の理想の姿のようにも見え興味深い。
願成就院について、吉川英治の『新平家物語』では、「橋からつづく守山の木の間道は、願成就院の三重ノ塔の横へ出る。ここは、北条家の菩提寺であり、塔は、かの女の父、平四郎時政が建てたものである。かの女は、梛の木蔭に佇んで、息をやすめた。・・・中略・・・ふたりの影が、三重ノ塔の横から、守山の沢道を、寄り添いながら、おずおず、降りて行くのが見える」など、流人となった源頼朝と北条政子の逢瀬の場所として描かれている。
この古寺の周辺は北条氏が鎌倉期を支配する出発点となるところでもあり、歴史のロマンを感じさせてくれる。
補足情報
*1 北条時政:1138(保延4)~1215(建保3)年。鎌倉幕府初代執権。伊豆での源頼朝の挙兵を助け、鎌倉幕府の重鎮として活躍。頼朝の死後、幕府の実権を掌握、北条氏の独裁体制を築いた。娘は頼朝の妻となった北条政子。 *2 『吾妻鏡』にも記載:『吾妻鏡』の1189(文治5)年6月6日の項に「爲北條殿御願。爲祈奥州征伐事。伊豆國北條内。被企伽藍營作。今日擇吉曜。有事始。立柱上棟。則同被遂供養。名號願成就院。本尊者。阿彌陀三尊。幷不動多聞形像等也。是兼日造立之尊容云々。」と北條時政が奥州征伐の成功祈願のため伊豆国北條の地に建立を企て、願成就院と名付け、すでに造立していた阿弥陀三尊を本尊にしたことが記されている。
*3 運慶:?~1223(貞応2)年。鎌倉期を代表する仏師。平安期に主流となった優美な「定朝様式」に対し、写実的で力強い仏像を制作し、東国武士の勃興とともにその活躍の場を広げた。父康慶、息子湛慶や快慶などとともに慶派と呼ばれ、後年の仏師に大きな影響を及ぼした。願成就院の作品以外では、円成寺大日如来像、快慶との共作の東大寺南大門仁王像などで知られる。 *4 仏像群:国宝に指定されている運慶作の五仏(本尊阿弥陀如来坐像・不動明王及二童子立像・毘沙門天立像) は、胎内にあった銘札から、これらが1186(文治2)年に造立されたことが分かっており、『吾妻鏡』の記載とも一致する。現在、大御堂に収蔵され、拝観することができる。
*5 足利茶々丸:生年不詳~1491(延徳3)年。室町時代後期、伊豆堀越にあった室町幕府の東国支配の役割を担っていた堀越公方の初代政知の子。北条早雲に攻められ自殺し、堀越公方は滅びた。
*3 運慶:?~1223(貞応2)年。鎌倉期を代表する仏師。平安期に主流となった優美な「定朝様式」に対し、写実的で力強い仏像を制作し、東国武士の勃興とともにその活躍の場を広げた。父康慶、息子湛慶や快慶などとともに慶派と呼ばれ、後年の仏師に大きな影響を及ぼした。願成就院の作品以外では、円成寺大日如来像、快慶との共作の東大寺南大門仁王像などで知られる。 *4 仏像群:国宝に指定されている運慶作の五仏(本尊阿弥陀如来坐像・不動明王及二童子立像・毘沙門天立像) は、胎内にあった銘札から、これらが1186(文治2)年に造立されたことが分かっており、『吾妻鏡』の記載とも一致する。現在、大御堂に収蔵され、拝観することができる。
*5 足利茶々丸:生年不詳~1491(延徳3)年。室町時代後期、伊豆堀越にあった室町幕府の東国支配の役割を担っていた堀越公方の初代政知の子。北条早雲に攻められ自殺し、堀越公方は滅びた。
関連リンク | 願成就院(WEBサイト) |
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参考文献 |
願成就院(WEBサイト) 文化遺産オンライン(文化庁)(WEBサイト) 国指定文化財等データベース(文化庁)(WEBサイト) 『吾妻鏡 第2 (日本古典全集 ; 第1回)』与謝野寛 [ほか]編纂・校訂 日本古典全集刊行会 国立国会図書館デジタルコレクション 『下田街道』静岡県教育委員会 |
2023年11月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。