三島のウナギみしまのうなぎ

三島は、富士山の伏流水、湧水や狩野川支流など豊富な良水に恵まれ、古くからウナギの棲息が確認されてきた。三嶋大社の境内の神池に大量のウナギが棲んでいたともいわれる。
 江戸期の俳人上島鬼貫の『鬼貫句選』では、「眞砂はその白玉にうるほひ、御池は水の面青み立て、底おぼつかなくすごし。雜『 ちはやぶる苔のはへたる神鱣(ウナギ)』」と記し、1839(天保10)年に発行された『諸国道中袖鏡』でも「ちさきの池にうなぎおおし 明神(三嶋大社)あいし玉ふといふ」と紹介されている。
 幕末以降、うなぎの蒲焼*1が一般化したこともあり、三島においてもウナギを食するようになり、現在ではウナギ料理を提供する店は約80軒(三島市HPによる)にも及ぶという。なかには1856(安政3)年に創業した老舗もある。
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みどころ

三島のウナギ料理が美味なのは、市外から仕入れた活魚のウナギを富士山の湧水にさらすことで、体内の老廃物を排泄し、余分な脂肪分を落として臭みを抜いたものを調理していることにあるという。
 また、米の炊飯の際も、湧水は浸透力が増すことから、ふっくらと炊き上がり、ウナギの風味がしっかりついたタレとも極めて相性が良い。ミネラル分の多い富士山の湧水が大きな役割を果たしている。
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補足情報

*1 蒲焼:ウナギ自体は、日本においては縄文時代から食べられていたといわれるが、現在の蒲焼のような調理方法が取り入れられたのは、醤油の製造が盛んになった江戸中期、18世紀中盤以降だといわれている。江戸の文人、太田南畝が1801(享和元)年に書いた東海道の道中記『改元紀行』では、三島市から東海道を西へ20kmほどの富士市浮島ヶ原がウナギの名産地と聞き、食したところ「江戸前の魚とはさまかわりて わづかに一寸四方ばかりにきりて串にさし たばねたる藁にさし置り 長くさきたる形とは大に異なり 味もまた佳ならず」と記しており、この時期においては、まだ、この地では江戸前の調理の仕方が広がっていないことが分かる。なお、蒲焼の調理方法は、関東と関西では異なり、関東ではウナギを背開きで内臓を取り出しあと、頭を落として素焼きし蒸してからタレをつけて焼く。関西は腹から裂き、頭はつけたまま蒸さずに強い火力で焼く。三島のウナギの蒲焼きは関東風である。

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