伊豆山神社いずさんじんじゃ

JR東海道本線・東海道新幹線熱海駅の東北約1.5㎞、小高い山の中腹にあり、境内は歌枕にもなった伊豆の御山「こごい(古々比)の森」*¹の一部で約13万2千㎡の広さがある。本殿は、「伊豆山神社前」バス停近く逢初橋の北側から石段の参道を登った鬱蒼とした巨木のなか標高170mのところに建ち、前面には相模湾が広がる。本殿は度重なる火災などに遭い、昭和初期に建立したもの。境内の最奥の山腹、標高390mのところには本宮社がある。また、バス停から石段と小道を伊豆浜方面に下ると、下宮跡、走湯神社、走湯温泉跡の洞窟や伊豆山温泉*²の宿泊施設などがある。
 創建は不詳だが、江戸後期の『豆州志稿』によれば、もとは日金峰*³(火ガ峰 現在の十国峠)に鎮座していたものを「其後山上ヨリ牟須夫峰ニ遷ス 牟須夫ノ称ハ神名(火牟須比命)ニ遺レルナラム 今之ヲ本宮ト云ウ」とされ、さらに836(承和3)年に本宮から現在地に社殿が建造され遷宮したいう。同社は創建当初からの山岳信仰と遷宮後の霊湯「走り湯」の温泉信仰とが融合した神仏習合の霊験場であり、明治期の神仏分離までは「走り湯権現」、「伊豆山権現」と称されていた。平安末期から鎌倉期には、源頼朝*⁴を始めとする東国武士の尊崇を得て箱根権現(箱根神社)とともに二所詣*⁵が盛んに行われた。鎌倉、室町期の最盛期には数十の僧房や修験房*⁶があったという。一時衰退期もあったが、小田原北条家、江戸幕府などの庇護を受け崇敬された。なお、近くには、別当寺であった般若院があり、本堂には「木造伊豆山権現立像」が安置されている。
 祭神は伊豆山神として、火牟須比命(ほむすびのみこと)天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)邇邇芸命(ににぎのみこと)が祀られている。境内には、社宝が収められている伊豆山郷土資料館もある。例大祭は毎年4月14~16日で、神事のほか、神輿渡御・下宮祭などが行われる。
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みどころ

「神社前」のバス停から手軽に参拝もできるが、伊豆浜の海岸から本殿まで837段の石段(本殿までは車道もある)を登るのも面白い。途中、走り湯跡の洞窟などを覗きながら境内に辿り着けば、鬱蒼とした古々比の森を背した朱色の本殿が際立ち、厳粛な気持ちにさせてくれる。前面に広がる相模湾は、この神社の縁起とも関りが深く、神秘性さえ感じさせる美しい景観をみせてくれる。
 さらに、この地の古い歴史をたどるということであれば、伊豆山郷土資料館で社宝などの周辺の歴史資料を見学したり、子恋の森公園を抜け、本宮まで足を延ばすのも良い。ただし、こちらは足回りなどハイキングの身支度が必要。
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補足情報

*1 こごい(古々比)の森:神社の境内も含めた周辺の山の森を指し、古くからホトトギスの名所として知られ歌枕となっているほどである。 『後拾遺和歌集』に藤原兼房朝臣の「五月闇ここひのもりのほととぎす 人しれずのみなきゐたるかな」や大弐三位の「ほととぎすここひの森に啼く聲は きくよぞ人の袖もぬれけり」が選ばれている。なお、境内地の一部は熱海市が借り受け「子恋の森公園」(面積約9万1千㎡)としている。                
*2  走湯神社、走湯温泉跡の洞窟や伊豆山温泉:開湯は古く、『伊豆国風土記』逸文では「養老年中(717~724年)に,開基(はじ)まれり。世の尋常(よのつね)の出湯に非ず。一晝(ひとひ)に二度(ふたたび)、山の岸の窟(いはや)の中、火焔隆り發(おこ)りて出づ。その温泉甚だ燐烈し、沸湯を鈍らすに樋を以てし、湯船に盛りて身を浸せば、諸の病悉く治ゆ」と伝えている。その後、海に向け温泉がほとばしり出ていたことから「走り湯」と称され、伊豆山神社(権現)と結びつき信仰の対象となった。走湯神社は伊豆山神社の境外社となっている。現在、「走り湯」は伊豆山温泉と呼ばれ、伊豆山神社を中心に相模湾を望む傾斜地に数軒ほどの宿泊施設が建ち並ぶ。泉質は塩化物、硫酸塩,単純温泉など。源泉のひとつ「走り湯」は泉温70℃ほど。外湯として、伊豆山神社への参道に走り湯共同浴場がある。有料。
*3 日金峰:『走湯山縁起』では応神天皇二年(4世紀末か)に「東夷相模國唐濵磯部海漕一圓鏡径三尺有餘」と相模湾に円鏡が出現し、「夜放光明疑日輪之出現」あるいは「発響声誤琴瑟之音曲」 など、光や音を発したという。さらにその鏡は高い峰にも飛登したという。                                                *4 源頼朝:源氏再興に際し、伊豆山権現に祈願したことが『吾妻鏡』に記されている。また、妻の北条政子を一時、宿坊に匿ってもらっていた。境内には頼朝と政子が座ったといわれる腰掛け石もある。                                                                 *5 二所詣:鎌倉幕府3代将軍源実朝が1214(建保2)年に二所詣(箱根権現と伊豆山⦅走り湯⦆権現)を行なったことは『吾妻鏡』にも記されている。その折に詠んだ「はしり湯の 神とはむべぞ いひけらし はやきしるしの あればなりけり」と「伊豆の国 山の南に いづる湯の はやきは神の しるしなりけり」の二首が「金槐和歌集」に収められており、信仰の篤さが伝わってくる。
*6 数十の僧房や修験房:吾妻鏡の嘉禄2年12月29日の条に「今夜夜半。伊豆國走湯權現寶殿并回廊堂舎數十宇燒亡。」(今夜々半、伊豆国走湯権現 宝殿并びに回廊、堂舎 数十宇 焼亡す。)とあり、その後鎌倉幕府の代々の将軍執権、足利尊氏等が再建、社領寄進 、修造にあたったという。

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