狩宿の下馬ザクラかりやどのげばざくら

JR身延線富士宮駅の北9km、国道139号から西に入った、井出館*1の門前にある。富士山の南面の裾野に自生する樹齢800年余りの赤芽白花山桜(アカメシロハナヤマザクラ)*2で、シロハナヤマザクラの変種の巨木。若葉は赤色、花は初め淡紅色、後に白色となる。
 源頼朝が富士巻狩*3のとき馬を繋いだと伝えられ、頼朝下馬桜、駒止桜、駒繋桜等の別名がある。最盛期の勢い*4は過ぎたが、今も富士山を背景に巨木の面影を残す。花期は4月中旬。
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みどころ

富士山の南に広がる雄大な裾野に古木のヤマザクラの白い花が映える。周囲には菜の花畑もあり、開花期には彩りも一層華やかになる。サクラ自体は往時の勢いはないといわれるものの、富士山の残雪を背景にしたサクラの花はまさに日本ならではの景観。
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補足情報

*1 井出館:井出家は古くからこの地を本拠としていたが、戦国時代には今川家から所領の安堵や関銭(通行料)の徴収権などの朱印を得ていたとみられ、江戸期にはこの地の名主役を務めていた。江戸末期の『駿河志料』では相伝として「建久鎌倉殿夏狩(富士巻狩)のときの旅館にて、其儘井出氏へ賜り、世々居住しける」としているが、定かではない。なお、元の館は江戸中期に焼失し、現在の高麗門、長屋は江戸末期の再建と言われている。また、高濱虚子の「花見にと馬に鞍置く心あり」などの句碑歌碑が立つ。
*2 赤芽白花山桜(アカメシロハナヤマザクラ): 野生種のヤマザクラの一種で、日本固有のもの。下馬ザクラは、全国でも最も古い一本ともいわれている。                                                                             *3 富士巻狩:『吾妻鏡』では1193(建久4)年5月の項「八日 癸酉 將軍家爲覽富士野藍澤夏狩」(将軍家が富士野藍沢での夏狩を上覧)と記されている。さらに、「十五日 庚辰 藍澤御狩事終入御富士野御旅舘當南面立五間假屋」(藍沢の狩りのあと、冨士野の南面して建てた五間の仮屋の旅館に入った)と記し、当日は斎日であったため、終日酒宴を開いたとも記録している。この場所が井出館だと相伝されている。                                          
*4:最盛期の勢い:『駿河志料』によると「高さ凡六間(約10m)餘枝繁茂し、根廻り三丈(約9m)許、枝東へ三丈九尺(約12m)、西へ三丈六尺(約11m)餘、南へ三丈九尺、北へ三丈六尺餘、花は一重山櫻なり、花の頃壮観にして、香芳爛漫として、實に稀世の大木」としている。