高山の朝市たかやまのあさいち

米市や塩市は、金森氏による統治(1586~1692年)の頃や、天領になった江戸時代1692(元禄5)年以降も開かれていた。
養蚕(ようさん)用に桑の葉を売る桑市が、1820(文政3)年頃には高山別院前で行われ、その後も弥生橋詰、中橋と場所を変えながら開かれた。1894(明治27)年頃からは、養蚕業の不振もあり「桑市」から、農家の奥さん達による野菜や花を売る「野菜市」へと変わり、朝市・夜市は行われた。
 大正時代になると、郡役所(陣屋)前広場で昼夜の「野菜市」が開かれるようになり、1941(昭和16)年頃まで盛んであった。太平洋戦争(1941~1945)中に、夜間の空襲などに備えた遮光・消灯指示により、夜市は消滅した。
 朝市は、終戦(1945)を経て、開催場所や規模・内容等に変化はあったが、現在は2か所で行われ、合わせて50以上の出店がある。宮川に架かる鍛冶橋から弥生橋まで約350mの岸沿いに露店が並ぶ「飛騨高山宮川朝市」と、高山陣屋前広場の「高山陣屋前朝市」である。季節によって開始時間や品揃えが異なるが、毎朝7時頃から12時まで開かれ、自家製の野菜・山菜・漬物・花・果物・餅・味噌・手作り民芸品などが並べられる。
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みどころ

店ごとに区画されていて、近郊農家の主婦が持ち込んだ季節の野菜・果物などが籠やテーブルに並ぶ。土の香りがするほど新鮮なものが、市価よりも安いと好評で、10時ごろには大半が売れてしまうという。同じ種類の品を他の店でも扱っているので、見定めて購入したい。
 また、朝市内で素朴な飛騨弁が飛び交う雰囲気の中、いろいろ物色しながら、買い物を楽しみたいものだ。朝食がてらの散策も有り。
 高山観光三大名物(高山祭・古い町並・朝市)の一つだ。