華厳寺けごんじ

岐阜市の中心街から北西20kmほどの山中にある。西国三十三所*第33番、結願の霊場で、「谷汲(たにぐみ)山」と呼ばれ親しまれている。798(延暦17)年に創建された古刹。
 寺伝によると、奥州(福島県)会津の大口大領が京都から故郷に観音像を持ち帰る途中、観音像が自ら歩き出し谷汲の地で動かなくなったことから、この地を結縁の地として、山で修行していた豊然上人とともに堂宇を建てて祀ったところ、堂近くの岩穴より油が滾々と湧き出し尽きることがなく、燈明に困ることがなかったという。後にこの霊験を聞いた醍醐天皇から「谷汲山」という山号と、観音像に華厳経が写経されていたことから「華厳寺」の寺号を与えられた。
 広大な境内は杉・桧・桜などの古木に包まれ、本堂・経堂・阿弥陀堂・仁王門など多くの堂宇が山腹にかけて並ぶ。丹塗の本堂は、兵火等により度々焼失したが、1875(明治8)年に再建され、壮大である。内部に戒壇めぐり*がある。本堂裏に苔ノ水地蔵尊、笈摺堂(おいずるどう)*、子安堂などが並び、その上に満願堂が立つ。奥の院は本堂から1.5㎞ほど登った山中にある。
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みどころ

谷汲山バス停から仁王門まで約800mの参道は、桜と楓が交互に連なり、春は桜のトンネル、秋は紅葉で参詣者をなごませる。両側には、谷汲名産のコンニャク・シイタケ等を扱った店や豆腐田楽をはじめとする食事店、掛け軸の表装屋などが並び、素朴な門前町の雰囲気が漂う。
 毎年2月18日には、華厳寺前で谷汲踊が奉納される。豊年を祈願する谷汲踊は、鳳凰の羽を模した「シナイ」と呼ばれる大きな扇状の竹細工を背負い、胸に抱えた太鼓を打ち鳴らして踊るのが特長である。
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補足情報

*西国三十三所:近畿2府4県と岐阜県に点在する33か所の観音信仰の霊場の総称で、文化庁の日本遺産に認定されている。
長谷寺の徳道上人または花山上皇が開創したという伝承が一般的だが、定説はない。史料的にもっとも確実なのは、1161(応保元)年、園城寺の僧覚忠が熊野那智から御室戸まで観音霊場三十三所を巡礼したという「寺門高僧記」の記載である。当初の三十三所巡礼は修験的色彩が強く、札所の順序も現在と異なるが、この巡礼記には既に華厳寺の名がある。15世紀ごろから一般信者も参加する巡礼の大衆化が進み、青岸渡寺に始まり華厳寺に終わる札所の順序や巡礼歌をはじめ、現在の巡礼の諸形態がほぼ形成された。
*戒壇めぐり:本尊の厨子の下に真っ暗な回廊があり、これを一巡しながら本尊の真下にある、鍵(錠前)に手さぐりで触れて本尊と結縁をし、極楽往生が約束されるというもの。
*笈摺堂(おいずるどう):西国三十三所の結願・満願札所にあたり、西国巡礼に着た笈摺(袖無羽織に似た薄い衣)を奉納する堂。3間四方、宝形造の堂内にはむかしからの笈摺が幾十万と積み重ねられている。

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