昇仙峡しょうせんきょう

JR中央本線甲府駅から北へ約10km、天神森からさかのぼって仙娥滝までの約4kmをいう。秩父山地の国師岳(標高2592m)・金峰山(標高2599m)に発する荒川*が花崗岩を浸食して造形した渓谷。清冽な渓流と灰白色の巨石、巨岩、そして緑の松が織りなす動と静の景観が連続する。渓谷入口の天神森から滝下までの約3kmは遊歩道*(一方通行の車道と共用)が続き、渓流には、豆腐石、松茸石・富士石などと名付けられた奇石が多く配され、見上げると猿岩、大仏岩などの巨岩が聳える。途中、3か所に吊り橋があるほか、五百羅漢で知られる羅漢寺*などがある。
 さらに、滝下から石門を通って仙娥滝の滝上までの1kmほどの遊歩道(車両通行不可)では、足元の渓流は狭隘となり、巨石を縫った流れの勢いはより一層増し、頭上には覚円峰*・天狗岩・屏風岩などの巨塊が迫ってくる。遊歩道の終点近くにある仙娥滝は渓谷最大の滝で高さ30m、3段になって落ちる。観光、散策のベストシーズンは周囲の山々が色づき、渓流に映える紅葉期。
 車で山腹を通る昇仙峡グリーンラインを経由して滝上まで行くこともできる。滝上には、土産物屋*、レストラン、美術館などの観光施設があるほか、富士山や甲府盆地の眺望が楽しめるロープウエイもある。
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みどころ

車で昇仙峡グリーンラインを経由して仙娥滝滝上まで手軽に登れるが、天神森から仙娥滝まで荒川の渓流を歩いて遡るのが、昇仙峡の景観の醍醐味をもっとも楽しむことができる方法。澄み切った渓流に花崗岩特有の灰白色の巨石がゴロゴロと布置され、見上げると奇怪な姿をした巨岩がそそり立ち、それに緑の松が添えられている様は、まさに一幅の南画である。明治の地理学者志賀重昂も「日本風景論」のなかで「花崗岩を穿鑿し其水は晶明 其岩は雪加ふるに激烈なる浸蝕に因り奇奇怪怪の状と呈出す 況や溪水處々に飛瀑を作し其の雄快なる胸宇を壮にす」と称賛したうえで、とりわけ、秋の紅葉と清流の青さと岩とのコラボレーションを絶賛している。
 現在、遊歩道は一部、一方通行の車両が走るが、やはり、ゆったりと渓谷散策を楽しむために、かつて通行していた風情あるトテ馬車の復活に期待したい。
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補足情報

*荒川:昇仙峡を抜けたあと、さらに南流し、甲府盆地で笛吹川に合流、さらに釜無川と合流して富士川となる。                                 *遊歩道:遊歩道としている道は、かつてあった御岳信仰の参詣道が羅漢寺山中を抜けていたものを、仙娥滝の滝上にあった猪狩村と甲府の市中との交通の便を図るため、豪農長田圓右衛門が開発したもの。「本村より荒川に沿うて吉澤に到るまで二里の間、榛荊を闢き、岸岩を鑽し、桟を布き、橋を架け、拮据経営三十年を経て、天保十四年(1843年)全く成ると」、明治期の随筆家小島烏水は、その偉業を書き残している。この長田圓右衛門の新道開発により、昇仙峡の景観が広く知れ渡ることになったという。また、この遊歩道には2017年まではトテ馬車が行き交い、名物となっていたが現在は廃止されている。
*羅漢寺:遊歩道の対岸に立つ羅漢寺山(標高1058m)の山中には、かつては一の岳に阿弥陀像、二の岳に釈迦像、三の岳に薬師像が鎮座した小堂が設けられ、山全体が修験道の修行の場となっていた。「甲斐国志」によると、創建は不詳だが、大永年間(1521年~1528年)に中興されたものの、1651(慶安4)年に焼失したという。現在ある小堂は旧羅漢寺消滅後、再建されたもので、15世紀前半に造られたという一木造の五百羅漢像、全154躯などが保管されている。
*覚円峰:高さ180mの岩で、渓谷最大である。覚円という僧がこの岩の上で修行をしたという伝えからこの名がある。
*土産物屋:水晶に関連する土産品が多いが、これは、1000年ほど前に昇仙峡の奥から金峰山にかけ、水晶の原石が発見されたことによる。江戸時代末期に京都より職人が呼ばれて 水晶の研磨技術が伝えられ、その後、山梨が宝飾産地となる起源となった。現在は水晶の発掘はされていない。

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