金櫻神社かなざくらじんじゃ

甲府市街から北へ16kmほど、昇仙峡の仙娥滝滝上から北東へ2kmほどの山中にある。当社の始まりは、現在地より北20kmほどのところに聳える金峰山(標高2599m)の山頂にある山宮(五丈岩)*の里宮として、7世紀頃に蔵王権現を勧請し建立されたといわれている。金峰山の登山口は9ヵ所あり、金桜神社といわれる里宮*も数ヵ所あったとされ、当社はそのひとつである。このため延喜式神名帳にも「金桜神社」*の名は挙げられているが、江戸後期までは山岳信仰の影響が強く「蔵王権現」と呼ばれていた。幕末に神仏分離の影響をうけ「金桜神社」と称されるようになった。
 代々の甲斐国主の祈願所でもあり、武田氏・徳川氏などとくに武士の信仰が厚かった。また、順徳天皇*も当社に祈願の勅使を送り、敷島町吉沢の常説寺には勅使が使用した白輿が残されている。境内には、鎌倉時代に建立された中宮、東宮をはじめとする13棟の建物があったが、1955(昭和30)年に火災に遭い、すべて焼失し、現在の社殿はその後再建されたものである。
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みどころ

昇仙峡の仙娥滝滝上は、土産品屋、美術館などの観光施設が並び賑わいをみせるが、2kmほど渓流沿いに登ると、かつては御師の家などがあった山里の先に、緑の豊かな山々に朱色の社殿が映えて建つ。里宮ではあるものの標高900mの山中にあり、社殿などは昭和に再建されたものだが、山岳信仰にはじまる古い信仰の歴史を思い起こすには十分な立地と景観である。
 境内には淡い黄金味を帯びた花の鬱金ザクラはじめ、500本ほどのサクラが植えられており、4月下旬から5月上旬にかけてが見ごろとなる。
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補足情報

*山宮(五丈岩):山頂にある高さ15mほどの岩で金桜神社のご神体。古代から山岳信仰の霊山として崇敬されていた金峰山は古くは金丸山といわれ、五丈岩には「甲斐派美(かいはみ)」という清水が湧く場所があり、甲斐国を流れる荒川などの水源とも信じられていた。山頂からは土馬や水晶などが発見されており水や耕作の神として崇拝されていたと思われる。また、御岳信仰とも結びつき多くの修験者達が山に入っていた。
*金桜神社といわれる里宮:里宮は、当地、甲府市御岳町以外にも、登山口であった甲州市牧丘町杣口、山梨市万力・同市歌田にあった。また、他の登山口も含め、金峰山の至る各所に摂社・末社が120社もあったという(「甲斐国志」)。
*「金桜神社」:金桜の名は、「甲斐国志」によると「金桜神木ト稱ス本社ノ東ニアリ老樹ナリ…中略…社記ニ隆辨僧正奉納ノ歌トテ載セタリ いにしへの吉野をうつす御岳山金の花もさこそさくらめ」とある。金桜は品種としては鬱金ザクラ。隆辨僧正は13世紀に活躍した天台宗の僧侶であるともに歌人としても活躍した。また、1000年ほど前からは、金峰山の山中で水晶が発掘されたことから、金桜神社の神宝は水晶の「火の玉・水の玉」である。
*順徳天皇:1197(建久8)年~1241(仁治2)年。後鳥羽天皇の皇子。承久の変で佐渡に流されるが、その途中、越後国寺泊(新潟県)から金桜神社に勅使を派した。その際、奉幣を載せたといわれる白輿が、金桜神社から南へ20kmほどの常設寺に保存されている。国指定の重要文化財。

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