小高い山と北川に囲まれて広がるのが、中世荘園の一つであった国富荘である。羽賀寺はこの国富荘の裾に閑静にたたずんでいる。鳳凰が飛来し、羽をこの地に落としたことから鳳聚山羽賀寺と名付けられた。
 716(霊亀2)年、奈良朝の女帝元正天皇が僧行基に命じて、羽賀寺を創建したと伝えられ、元正天皇の勅願所となった。947(天慶10・天暦元)年の洪水で埋没後、翌年再興された。中世以降、皇室との関係が深く、秘蔵の80余通の古文書には、類例のない勅筆並びに天皇の仰せを受けて蔵人所から出した文書、綸旨が含まれている。なかでも羽賀寺縁起*は、陽光院誠仁親王の筆であり、奥書は後陽成天皇の勅筆である。
 1190(文治6・建久元)年には源頼朝が三重塔を寄進している。戦国時代には武田氏の祈願所の一つとされたりもして全盛をきわめたが、兵火にあいその大半を焼失した。
 本堂は1447(文安4)年、御花園天皇の勅命により、奥州十三湊の日本将軍安倍康李が再建した。京都と東北、海と都をつなぐ交流を示す寺院である。
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みどころ

傾斜の緩やかな長い参道を登りつめると、本堂が山を背に立つ。本尊の十一面観音立像は、若狭にある仏像の中でも秀逸で、行基が元正天皇をモデルに彫ったといわれるだけに、艶やかな女性的な仏像である。(溝尾 良隆)
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補足情報

*羽賀寺住職とオバマ元米大統領との関係で、次のようなエピソードがある。2006(平成18)年12月、あるニュース番組の中で、オバマ候補本人が「私が来日した際、成田の税関職員が「私は福井の小浜市出身だ」と言っていた」というインタビューが流れた。この放送を見た羽賀寺住職が、小浜市長に、オバマ大統領候補に手紙を出してお礼と交流をはかったらどうかと提言し、市長はさっそく手紙と若狭塗り箸を贈った。「オバマ候補を応援している自治体がある」というのが話題になって、2008(平成20)年2月、市民有志による「オバマ候補を勝手に応援する会」が立ち上がり、取材攻勢が始まった。2009(平成21)年の大統領就任に際しては、羽賀寺本堂でお祝いの会が行われ、「おばまガールズ」のフラダンスや小浜第九合唱団によるベートーベン「第九交響曲」の演奏が披露され、小浜市内の10を超える寺社教会から、「平和の鐘」が打ち鳴らされた。
*紙本墨書羽賀寺縁起:縦50cm、横430cmの巻物で、優れた表装が施されている。平易な漢文体で墨痕鮮やか筆のあとのすばらしさ。奥書の175文字は天皇の勅筆による。
関連リンク 羽賀寺(WEBサイト)
参考文献 羽賀寺(WEBサイト)
小浜市(WEBサイト)
ふくいドットコム(公益社団法人福井県観光連盟)(WEBサイト)
パンフレット「羽賀寺」
『福井県の歴史散歩』山川出版社、2010年

2022年06月現在

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