西福寺さいふくじ

敦賀市内の西部、大原山(おおはらさん)西麓にある。浄土宗鎮西派。1368(応安元)年、後光厳天皇の勅願所として、良如上人*が開山した。浄土宗の中本山で、時の朝廷や室町幕府、戦国大名や領主の崇敬も篤く、禁制には松平家と関係深く、北国浄土宗の中心寺院として、「越の秀嶺」の別称の格式をもっていた。
 樹木に囲まれた広い境内には、重厚な伽藍が立ち並ぶ。三門*を入ると正面に御影堂(みえいどう)*、左に阿弥陀堂(あみだどう)*が立つ。ほかに鐘楼・書院などがあり、書院前には美しい名勝指定の庭園がある。
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みどころ

大原山を背景に、広々とした田園景観の縁に、西福寺の大きな三門と御影堂が堂々とした姿で現れてくる。
 境内には、御影堂のほかに、重要文化財の阿弥陀堂、書院、四修廊下*など見るべき建物が多い。
 美しさでは名勝の書院庭園*、大原山を借景とし、自然の巨石や松の木の間に泉石、石燈篭などが巧みに配され、ところどころにツツジやモミジ、松などが植えられて風情がある。手入れもよくされている。(溝尾 良隆)
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補足情報

*良如上人:1344~1412年。北陸浄土教の発展に貢献。開山上人。比叡山で天大学を学び、のち、浄土宗学習得。布教に心がけ西福寺創建。布教の実践家で、海老江に称名寺、近江・越前・若狭の三国にわたって100余箇寺を建てた。
*三門:現在は1977(昭和52)年建設の鉄筋コンクリート造。1946(昭和21)年に焼失した旧・三門を模して三間二重門形式。旧・三門は三門一戸、二重門。入母屋造、桟瓦葺。寺伝によれば、1693(元禄6)年再建。梁行八間半桁行六間。
*御影堂:七間堂、向拝三間、入母屋造、桟瓦葺の大建築。江戸後期のもの。
*阿弥陀堂:三間裳階付、入母屋造、一間向拝付、桟瓦葺の禅宗様色の強い建物。1600(慶長5)年頃に単層の三間堂を福井市一乗谷より、現在の御影堂の位置に解体移築され重層(裳階付)仏殿に改造。1800(寛政12)年頃、現在の位置に曳家で移された。
*四修廊下:御影堂から阿弥陀堂へ渡る回廊。桁行折曲り十四間、梁間一間、高床式。西は寄棟造、東は向唐破風造、桟瓦葺。金毘羅権現の神壇が造り付けられている。極楽浄土への欄楯を現したもの。
*書院庭園:阿弥陀如来25菩薩の早来迎図に基づいて築造された江戸中期の作。阿弥陀如来が菩薩方を伴い人界にあらわれ極楽浄土に導く様子を表現。9段の階層をつけ、サツキで紫雲・白雲を、山畔上部から流れる3段の滝で諸行無常を、滝の響きで菩薩の奏でる楽器の音を表わす。池泉には睡蓮が咲く。名勝庭園指定でありながら散策可能。
*華頂門:一間薬医門、本瓦葺、南面。東西に袖堀付属、潜戸付、桟瓦葺。礎石は花崗岩切石。元、知恩院の山内にあった宮門跡・華頂宮の表門。明治維新で屋敷跡に浄土宗西部大学林他に使用され、華頂女学校が創建、校舎拡充のためやむなく撤去に至り、当山第49世證世上人の由縁により西福寺に移築された。
関連リンク 西福寺(WEBサイト)
参考文献 西福寺(WEBサイト)
『福井県の歴史散歩』山川出版社、2010年

2022年06月現在

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