若狭彦神社・若狭姫神社
JR東小浜駅からまっすぐ南、若狭姫神社(若狭国鎮守二宮、下社、下宮)が、さらに遠敷川沿い1.5kmほど上流に行ったところに若狭彦神社(若狭国鎮守一宮、上社、上宮)が鎮座する。創建は彦神社が715(霊亀元)年、姫神社が721(養老5)年と伝え、若狭最古の神社である。
祭神は彦神社が天津彦火火出見尊(あまつひこほほでみのみこと、山幸彦)、姫神社が豊玉姫命(龍宮の乙姫)であり、古事記の海幸・山幸神話*で知られる両神を祀る。姫神社の3月10日の例祭には、漁師たちが大漁と航海安全を祈願して、鮮魚を供えて祝う。彦神社の10月10日の例祭には両社で遠敷祭が行われる。
室町時代以降、歴代の守護や領主が、鳥居や社殿の造営をはじめ、社領安堵、禁制を発するなど、両社を篤く保護した。現存する両社の本殿・神門・楼門はいずれも近世に造営されたものである。特に両社本殿は、檜皮葺・前室付三間社流造の形式を有する。
祭神は彦神社が天津彦火火出見尊(あまつひこほほでみのみこと、山幸彦)、姫神社が豊玉姫命(龍宮の乙姫)であり、古事記の海幸・山幸神話*で知られる両神を祀る。姫神社の3月10日の例祭には、漁師たちが大漁と航海安全を祈願して、鮮魚を供えて祝う。彦神社の10月10日の例祭には両社で遠敷祭が行われる。
室町時代以降、歴代の守護や領主が、鳥居や社殿の造営をはじめ、社領安堵、禁制を発するなど、両社を篤く保護した。現存する両社の本殿・神門・楼門はいずれも近世に造営されたものである。特に両社本殿は、檜皮葺・前室付三間社流造の形式を有する。
みどころ
両社とも杉木立におおわれ、静かな雰囲気に包まれる。若狭彦神社の緩やかな坂の参道は、やや左にカーブをしてから、大きく右にカーブして、正面に檜皮葺の随神門・神門・本殿が現れる見せ方になっている。参道両側に2本の大杉がそびえるが、これは鳥居の役割を果たしているという。姫神社は鳥居前に音無瀬川(おとなせがわ)という水路があり、豊かな水が流れ、本殿の瑞垣内には千年杉と称える巨樹がある。(溝尾 良隆)
補足情報
*海幸彦・山幸彦:兄・海幸彦と弟・山幸彦はある日、猟具を交換する。弟は兄に借りた釣り針を失くしてしまう。困り果てていたところ、塩椎神(しおつちのかみ)に教えられ、綿津見神宮(わたつみのかみのみや)に行き、3年間楽しく過ごし(浦島伝説につながる)、豊玉姫と結婚し、帰りに釣り針と二つの霊のある玉二つを貰い、その玉で兄を懲らしめ忠誠を誓わせた。海幸彦は隼人族、山幸彦は天孫族で、両者の闘争を神話化したのである。
関連リンク | 小浜市(WEBサイト) |
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参考文献 |
小浜市(WEBサイト) ふくいドットコム_若狭彦神社(公益社団法人福井県観光連盟)(WEBサイト) ふくいドットコム_若狭姫神社(公益社団法人福井県観光連盟)(WEBサイト) 『福井県の歴史散歩』山川出版社、2010年 『広辞苑 第六版(普通版)』岩波書店、2008年1月 |
2022年06月現在
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