普光寺(浦佐毘沙門堂)ふこうじ(うらさびしゃもんどう)

JR浦佐駅を出て、浦佐のまちなかを通る旧三国街道から、堂々たる山門が目につく。山門は日光の陽明門をかたどり、江戸時代、1820(文政3)年から12年の歳月と10万余の信者の奉仕によって建立された。天井には、江戸時代に谷文晁が描いた双竜がある。2階天井には、天女の舞姿絵が見られる。
 寺伝によると、807(大同2)年、坂上田村麻呂が蝦夷を討つためにこの地を訪れ、国家鎮護を祈って毘沙門堂を建立した。普光寺の本尊は大日如来。本堂は1680(延宝8)年の建立で、江戸時代には6つの塔頭があった。毘沙門堂は本堂と廻廊でつながり、毘沙門天像を祀る。廻廊には裸祭りのときの大きなロウソクが並ぶ。現在の堂は火災にあい、1937(昭和12)年に再建されたもの。
 有名な裸押合大祭*は3月第一土曜日に行われる。
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みどころ

裸押合いとなったのは、各地から訪れる信者が、他の人より早く参拝しようと、もみ合い押合いになった。年頭にその年の徐災招福を願う心から、水行して参拝するようになった。これらのことが混じり合って、次第に裸になるものが多くなり、全員裸でご本尊に額づくようになった。毘沙門天に仕える浦佐多聞青年団最高幹部と年男は、1か月前から四足二足を絶つ。大祭前7日間、大祭の無事故と成功を祈り、水行を行う。
 なお、各地の講中から約70本のローソクが奉納される。大きいもので、高さ1m15cm、重さ約60kgになる。このように1年に1度の裸押合大祭はぜひみてほしいが、ふだんの普光寺も山門の大きさと絵画観賞、回廊のローソク、水行の場、毘沙門堂の仏像など見どころが多いので、ぜひ訪れてほしい。(溝尾 良隆)
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補足情報

*裸押合大祭:祭りは寺の建立時からといわれるが、記録として残るのは1756(宝暦6)年。豊作を祈る祭りで、毘沙門堂の中で裸の男たちがもみ合う。午後6時ころ、不動の滝の氷を割って水垢離をとり、堂内にくり込む。近郷から奉納された巨大な30~50kgのロウソクが照らす中、”サンヨー”の掛け声に合わす中、押し合いをする。午後10時ころ、年男が呪文を唱えながら堂内に入る。護摩を焚いたあとに残る灰を使用して、住職みずから12体の毘沙門天をかたどった金箔の像を作る。その御灰像を撒与し押合いが終了する。裸押合い大祭は、これまで3月3日と決まっていたが、2020(令和2)年から、3月の第一土曜日に変更する。(溝尾 良隆)
関連リンク 普光寺(WEBサイト)
参考文献 普光寺(WEBサイト)
南魚沼市(WEBサイト)
雪国観光圏(一般社団法人雪国観光圏)(WEBサイト)
『新潟県の歴史散歩』山川出版、2009年
普光寺境内の案内板

2022年06月現在

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