蓮華峰寺
蓮華峰寺の中心は金堂*であり、その西方に守り神である小比叡神社*があるという、寺院と神社が一体の区域の中に建てられており、神仏習合の面影を残している。
806(延暦25・大同元)年頃、空海が開いたと伝えられ、嵯峨天皇の勅願寺となったという由緒ある古寺。ここが京都の鬼門にあたるところから、比叡山にならって皇城鎮護のために建てたので小比叡(こびえ)といい、山の形が蓮華八葉に似ているので蓮華峰寺と名付けられたという。広い山地は杉木立ででおおわれ、その内に重要文化財の金堂・弘法堂*・骨堂、小比叡神社の本殿・石鳥居をはじめ、御霊屋・八角堂*・鐘楼・仁王門などが、密教寺院風に配置されている。これらの建物の大半は、1652(慶安5・承応元)年に兵火にかかったのち、再建されたものである。
806(延暦25・大同元)年頃、空海が開いたと伝えられ、嵯峨天皇の勅願寺となったという由緒ある古寺。ここが京都の鬼門にあたるところから、比叡山にならって皇城鎮護のために建てたので小比叡(こびえ)といい、山の形が蓮華八葉に似ているので蓮華峰寺と名付けられたという。広い山地は杉木立ででおおわれ、その内に重要文化財の金堂・弘法堂*・骨堂、小比叡神社の本殿・石鳥居をはじめ、御霊屋・八角堂*・鐘楼・仁王門などが、密教寺院風に配置されている。これらの建物の大半は、1652(慶安5・承応元)年に兵火にかかったのち、再建されたものである。
みどころ
小比叡神社では、毎年2月6日に稲の豊作をあらかじめ祝う儀式である田遊び神事が行われる。
小比叡神社の棟札の墨書によると、安芸、江戸、大坂、小浜、紀伊などの大工の名前があり、北前船で近くの宿根木が発展したように、佐渡は西国から大きな影響を受けていたことがわかる。また骨堂の墨書からは筑前国の僧侶が訪問したことや、金堂の墨書からは奈良西大寺の僧侶が訪問したことがわかる。蓮華峰寺は、佐渡のメインの観光ルートに入っていないが、規模の大きさといい、数多くの文化財の建物があるので、ぜひ訪れて欲しい所である。(溝尾 良隆)
小比叡神社の棟札の墨書によると、安芸、江戸、大坂、小浜、紀伊などの大工の名前があり、北前船で近くの宿根木が発展したように、佐渡は西国から大きな影響を受けていたことがわかる。また骨堂の墨書からは筑前国の僧侶が訪問したことや、金堂の墨書からは奈良西大寺の僧侶が訪問したことがわかる。蓮華峰寺は、佐渡のメインの観光ルートに入っていないが、規模の大きさといい、数多くの文化財の建物があるので、ぜひ訪れて欲しい所である。(溝尾 良隆)
補足情報
*金堂:五間単層の入母屋造。銅板葺き。室町初期の建築で、1459(長禄3)年の墨書銘が発見されている。
*小比叡神社:本殿は三間社流造。柿葺。江戸初期の建物。鳥居は石造明神鳥居で1608(慶長13)年佐渡奉行大久保長安が寄進したもの。
*弘法堂:方三間単層の宝形造。素木の簡素な建物。慶長年間(1596~1615年)の建築といわれる。
*八角堂:軒の組み物は、全体で雲中の龍を表現した異色の造形を示す。御霊屋:日光東照宮を彷彿させる意匠・彩色。
*小比叡神社:本殿は三間社流造。柿葺。江戸初期の建物。鳥居は石造明神鳥居で1608(慶長13)年佐渡奉行大久保長安が寄進したもの。
*弘法堂:方三間単層の宝形造。素木の簡素な建物。慶長年間(1596~1615年)の建築といわれる。
*八角堂:軒の組み物は、全体で雲中の龍を表現した異色の造形を示す。御霊屋:日光東照宮を彷彿させる意匠・彩色。
関連リンク | さど観光ナビ(一般社団法人佐渡観光交流機構)(WEBサイト) |
---|---|
参考文献 |
さど観光ナビ(一般社団法人佐渡観光交流機構)(WEBサイト) にいがた観光ナビ(公益社団法人新潟県観光協会)(WEBサイト) 『新潟県の歴史散歩』山川出版、2009年 |
2022年06月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。