佐渡おけささどおけさ

佐渡おけさの由来については諸説あるが、その前身は九州のハンヤ節といわれ、それが江戸時代、北前船の西廻り航路によって、関西から北陸・越後を経て佐渡に入り、今日の哀調を帯びたおけさになった。
 「おけさ」は、新潟県内では、佐渡のほかにも、出雲崎、寺泊、小千谷、蒲原、魚沼地方にも伝わる。鉱山の作業歌であったおけさが、佐渡おけさとして全国に知れ渡ったのは、1924(大正13)年設立された旧相川町の民謡団体である立浪会の努力と、このころ始まったラジオの電波に乗って全国に知られたことが大きい。佐渡鉱山の鉱員であった村田文三が全各地への公演やラジオの民謡コンクールに出て活躍し、数多くのレコードを残した功績も見逃せない。
 現在、佐渡では「佐渡おけさ」、「相川音頭」、「両津甚句」が佐渡三大民謡と言われている。
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みどころ

佐渡観光の草創期、1950(昭和25)年代、新潟交通佐渡営業所の運転手・車掌たちが民謡研究会をつくり、だれでも歌えるようになり、運転しながら、運転手が佐渡おけさを唄うのが大評判になった。1970(昭和45)年代前後から、佐渡観光の発展期には、夕食後、佐渡おけさほか佐渡の民謡が楽しめるところへ、旅館が送迎をした。いまはこのような上演場所がなくなったのは残念である。(溝尾 良隆)
関連リンク さど観光ナビ(一般社団法人佐渡観光交流機構)(WEBサイト)
参考文献 さど観光ナビ(一般社団法人佐渡観光交流機構)(WEBサイト)
溝尾良隆著『ご当地ソング、風景の百年史』原書房、2011年5月

2022年06月現在

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