佐渡の能・狂言
佐渡では、宝生流の能楽が盛んである。かつて観世三郎元清(世阿弥)*が流されて来た影響もあるが、慶長年間(1596~1615年)に金山奉行となった大久保長安が、猿楽師の出身で、能を奨励したことによるといわれる。今でも、島内の古い宮には能舞台が見られ、1924(大正13)年に訪れた大町桂月も「鴬や十戸の村に能舞台」と詠んだほどである。
佐渡の能は神社に奉納する「神事能」として独自の進化をとげ、庶民の能として浸透した。現在、佐渡ではさまざまな団体が能に親しむ活動を行っており、教育の場でも総合学習に能楽を取り入れている。往時、佐渡には200もの能舞台があったと言われる。現在でも30以上の能舞台がある。
「国仲四所の御能場」と呼ばれたのは、佐和田の若一王子神社、新穂の牛尾神社、畑野の加茂神社、真野の大膳神社で、大がかりの演能が盛んに行われてきた。若一王子神社以外、現在も残り、威厳と風格のある佐渡を代表する舞台を持つ。なかでも大膳神社は能「檀風」ゆかりの神社として知られ、佐渡に現存する最古の能舞台といわれ、1846(弘化3)年に再建された茅葺き寄棟造りの能舞台である。
その他、本間家能舞台は1885(明治18)年に瓦葺き寄棟造りで再建された。本間家は18代佐渡宝生流の家元で、佐渡の能の中心的地位を保つ。金井能楽堂は年間通じて、演能やさまざまな催しが開催されている。相川の春日神社の能舞台は、2006(平成18)年に、羽茂の諏訪神社からこの地に移築された。能を奨励した大久保長安の関連の能舞台で、相川にあるのがふさわしいと移築されたのである。
佐渡の能は神社に奉納する「神事能」として独自の進化をとげ、庶民の能として浸透した。現在、佐渡ではさまざまな団体が能に親しむ活動を行っており、教育の場でも総合学習に能楽を取り入れている。往時、佐渡には200もの能舞台があったと言われる。現在でも30以上の能舞台がある。
「国仲四所の御能場」と呼ばれたのは、佐和田の若一王子神社、新穂の牛尾神社、畑野の加茂神社、真野の大膳神社で、大がかりの演能が盛んに行われてきた。若一王子神社以外、現在も残り、威厳と風格のある佐渡を代表する舞台を持つ。なかでも大膳神社は能「檀風」ゆかりの神社として知られ、佐渡に現存する最古の能舞台といわれ、1846(弘化3)年に再建された茅葺き寄棟造りの能舞台である。
その他、本間家能舞台は1885(明治18)年に瓦葺き寄棟造りで再建された。本間家は18代佐渡宝生流の家元で、佐渡の能の中心的地位を保つ。金井能楽堂は年間通じて、演能やさまざまな催しが開催されている。相川の春日神社の能舞台は、2006(平成18)年に、羽茂の諏訪神社からこの地に移築された。能を奨励した大久保長安の関連の能舞台で、相川にあるのがふさわしいと移築されたのである。
みどころ
佐渡博物館や歴史伝説館には能装束など貴重な品々の展示や能の歴史を学ぶことができる。2019(平成31・令和元)年の佐渡の演能スケジュールでは、4月から10月までに12カ所で21回催される。そのうち、寺で2回、漁港で1回、他は神社の能舞台で行われる。各宿泊施設から、薪能ライナーバスが運行される。歴史豊かな佐渡まできて、昔ながらの雰囲気の能舞台で演ずる能をぜひ味わってほしい。(溝尾 良隆)
補足情報
*観世三郎元清(世阿弥):室町時代の能役者、能作者。観阿弥の長男、元服して観世三郎元清。父とともに将軍足利義満に見出されて殊遇を受け、父の死後も、能をさらに幽玄の能として完成させた。1401(応永8) 年頃より世阿弥陀仏と号した。義満の死後、不遇となり弾圧を受け、1434(永享6)年、佐渡に流された。その後帰洛したか否かは不明。
*「舞い倒す」:佐渡には、裕福な家の主が能にはまり、中央から一流の能楽師を呼び寄せるなど財産を費やして身上を潰すさまをさし、佐渡で能文化がいかに普及していたかをうかがわせる言葉である。
*「舞い倒す」:佐渡には、裕福な家の主が能にはまり、中央から一流の能楽師を呼び寄せるなど財産を費やして身上を潰すさまをさし、佐渡で能文化がいかに普及していたかをうかがわせる言葉である。
関連リンク | さど観光ナビ(一般社団法人佐渡観光交流機構)(WEBサイト) |
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参考文献 |
さど観光ナビ(一般社団法人佐渡観光交流機構)(WEBサイト) パンフレット「佐渡薪能」 |
2022年06月現在
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