佐渡の人形芝居
「佐渡の人形芝居」とは佐渡島に所在する「文弥人形」*「説経人形」*「のろま人形」*の三つの人形芝居の総称であり、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
佐渡の人形芝居は、およそ300年前、佐渡の住民が京から人形一組を持ち帰って一座を起こしたのが始まりとされている。明治末年には「文弥」「説経」をあわせて島内に30近い座があった。大正から昭和にかけて、浪花節や活動写真などの新しい娯楽の台頭でしだいに下火になっていった。
しかし、これらが始祖の語りに近い形で残されているのは佐渡だけということで、近年、この貴重な文化財を受け継ごうと保存活動が盛んになっており、現在全島で7つの座やグループが活動している。
佐渡の人形芝居は、およそ300年前、佐渡の住民が京から人形一組を持ち帰って一座を起こしたのが始まりとされている。明治末年には「文弥」「説経」をあわせて島内に30近い座があった。大正から昭和にかけて、浪花節や活動写真などの新しい娯楽の台頭でしだいに下火になっていった。
しかし、これらが始祖の語りに近い形で残されているのは佐渡だけということで、近年、この貴重な文化財を受け継ごうと保存活動が盛んになっており、現在全島で7つの座やグループが活動している。
みどころ
「のろま人形」の外題は狂言風だが、ずっと卑俗で泥くさく、人形遣いが佐渡の方言をふんだんに使用して、しゃべるのが珍しい。新穂歴史民俗資料館で、7月下旬から8月中旬の週末の「のろま人形上演会」で、8月上旬の「新穂城址はすまつり」で上演される。祭礼時以外でも、予約をすれば宿泊施設でも観ることができる。「文弥人形」は、予約をすれば外海府の関集落の芝居小屋で観賞と人形を遣う体験ができる。(溝尾 良隆)
補足情報
*文弥人形:「文弥節」に合わせて遣う人形で、語りは江戸時代の延宝期から伝えらているもの。明治になり、大崎屋松之助と文弥語りの伊藤常盤一が、座語りであった文弥節を「語り」に、単調であった人形の動きを細やかにして、絶賛を博した。使用される人形は「ガクガク人形」という。
*説経人形:「説経節」の弾き語りに合わせて人形の衣裳の裾から手を差し込んで使う「裾突込み式」の一人遣いの人形芝居で、浄瑠璃が説経節であったことから「説経人形」の名がとられた江戸時代、上方から伝来された。演目としては、説経物のほか、近松物や合戦物が多くある。今は新穂瓜生屋(うりうや)にある廣栄座が唯一の伝統を守っている。
*のろま人形:説経人形の幕間狂言として行われたもの。江戸初期に野呂松勘兵衛が使ったのが初めといわれ、佐渡へ伝わったのは享保年間(1716~1736年)ごろ。主役は道化の木之助、それに下の隠居、仏師、お花の4人。
*説経人形:「説経節」の弾き語りに合わせて人形の衣裳の裾から手を差し込んで使う「裾突込み式」の一人遣いの人形芝居で、浄瑠璃が説経節であったことから「説経人形」の名がとられた江戸時代、上方から伝来された。演目としては、説経物のほか、近松物や合戦物が多くある。今は新穂瓜生屋(うりうや)にある廣栄座が唯一の伝統を守っている。
*のろま人形:説経人形の幕間狂言として行われたもの。江戸初期に野呂松勘兵衛が使ったのが初めといわれ、佐渡へ伝わったのは享保年間(1716~1736年)ごろ。主役は道化の木之助、それに下の隠居、仏師、お花の4人。
関連リンク | 佐渡の文化財(佐渡市)(WEBサイト) |
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参考文献 |
佐渡の文化財(佐渡市)(WEBサイト) NPO法人日本伝統文化振興機構(WEBサイト) |
2022年06月現在
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