高徳院(鎌倉大仏殿)こうとくいん(かまくらだいぶつでん)

「美男におはす」(与謝野晶子の歌の一部)鎌倉の大仏として、あまりにも有名。
 正式には大異山高徳院という寺の本尊である。寺の創建については明らかではなく、江戸中期の1712(正徳2)年、増上寺の祐天上人が中興して浄土宗とし、もと材木座光明寺の奥院であった。広々とした境内の奥、三方に回廊をめぐらした中央に露坐の大仏が鎮座し、周囲にはかつての大仏殿の礎石が点在している。
 国宝である銅造阿弥陀如来坐像 (大仏)は、像高11.31m、台座を含めた地上からの高さ13.35m。重さ約121t。鎌倉時代の代表的な彫刻の一つで、相好は円満で美しく、端正な厳しさを持ち、両手は上品上生の印を結んでいる。1238(暦仁元)年沙門浄光が全国を勧請して造立した木造の大仏が最初で、1252(建長4)年に金銅の大仏の鋳造が始められた。これが現在の大仏である。鋳工は大野五郎右衛門とも丹治久友ともいわれるが、完成年月日は不明。初めは大仏殿の中に安置されていたが、1498(明応7)年の大津波で建物が倒壊して以来露坐になった。胎内には階段がつけられ、鋳造技術の一端を見学することができる。
 有名な与謝野晶子の歌碑は大仏背後の回廊裏手にある。大仏右手の回廊には茨城県の児童が寄進した約1.8mのわらぞうり(藁草履)が飾られている。
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みどころ

与謝野晶子が「鎌倉や 御仏なれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」と詠んだように、大きく美しい鎌倉の大仏は、地域の人びとや文学者など多くの人に愛されてきた。
 約11mの大きさを持つ大仏の姿は、背後の木々の緑に映え、今も変わらず鎌倉の町を見守り続けている。(溝尾 良隆)
関連リンク 鎌倉大仏殿高徳院(WEBサイト)
参考文献 鎌倉大仏殿高徳院(WEBサイト)

2020年04月現在

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