横浜中華街の中華料理よこはまちゅうかがいのちゅうかりょうり

約500m四方の区画の中に600以上の店がひしめきあう日本最大のチャイナタウン。
 横浜港が開港した当時、貿易を目的に多くの西洋人が日本を訪れたが、彼らは日本語が分らず、また日本人も西洋の言葉や商売に対する知識がなかった。そこで両者の仲介役として活躍したのが中国人たちだった。中国の西洋商館で働いていた中国人は、西洋の言葉を理解し西洋式のビジネスに精通する一方、日本人とは漢字を用いて筆談が可能だった。華僑たちは貿易分野だけでなく、料理人、大工、レンガ工、印刷技術者、西洋家具職人、洋裁等としても活躍し、当時の先端技術を日本にもたらした。彼ら華僑たちが居留地内の一角に集まり住み始めたのが、横浜中華街の始まりである。
 もともと様々な職業に従事していた華僑たちだったが、1899(明治32)年の外国人居留地の撤廃等を機に、次第に、洋裁、理髪、料理の3つに特化されていく。これらはいずれも刃物を商売道具にするため、”三把刀”と呼ばれる。3つのなかでも特に料理店が増加し、横浜中華街は中華料理店がひしめきあう一大グルメタウンとなった。
 中華街にある横浜関帝廟と媽祖廟は、横浜華僑のひとびとの心のよりどころとなっている。旧正月を祝う春節では、獅子舞や龍舞が盛大に舞い、関帝誕や媽祖祭と並び中華街の代表的なイベントになっている。
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みどころ

多くの中華料理店がひしめきあう横浜中華街では、広東、北京、上海、四川、台湾など、様々な地方の中華料理を楽しむことができる。コース料理を提供する店から、庶民的な食堂、中国茶専門店のカフェ、中華まんなどの食べ歩きまで、様々なスタイルで楽しめるのも魅力だ。
 料理はもちろんのこと、極彩色で彩られた街並みは異国情緒にあふれており、ただ歩くだけでも十分楽しめる。珍しい食材にも出会える。
 媽祖廟や関帝廟では、ぜひ中国式の作法で参拝したい。観光客だけでなく、中華街に住まう地元の方も多くお参りに訪れており、海を越えて日本へと渡ってきた華僑のひとびとの暮らしぶりに触れることができる。(門脇 茉海)
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補足情報

*エリア内には10基の牌楼(門)が建つ。中でも東南西北の4基は風水思想に基づいており、東=青龍、南=朱雀、西=白虎、北=玄武を守護神として、中華街の繁栄と安全への祈りがこめられている。
*横浜中華街は、周辺の道に対して約45度傾いている。中華街がある区画は、元々は横浜新田と呼ばれた江戸時代の埋立地で、周囲の土地と水路で隔てられていたことや、元住民への保証金支払いが土地の広さに応じて行われていたことから、新田の水路やあぜ道が残されたままで居留地内に組み入れられた。その区画が東西南北にほぼ合致していたため、風水思想を重んじる中国人たちが住み始めたと考えられている。
関連リンク 横浜中華街(横浜中華街発展会)(WEBサイト)
参考文献 横浜中華街(横浜中華街発展会)(WEBサイト)
横浜開港資料館(WEBサイト)

2020年04月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。