武蔵府中のくらやみ祭
大國魂神社 内の資源
「武蔵府中のくらやみ祭」は大國魂神社の例大祭で、4月30日から5月6日まで、往古*1から時代によって育まれてきた多種多彩な神祭事がとり行われる。
4月30日には神職のお清めのため「品川海上禊祓式(潮汲み・お浜降り)=潮盛り神事」が品川の海上にて行われる。
5月1日には安全と晴天祈願の祭事「祈晴祭」が催され、5月2日は神輿奉持者(担ぎ手)の心を磨き清める「御鏡磨式」となり、神祭事の準備が進む。
5月3日の夕刻に、門前のケヤキ並木に10台ほどの囃子の山車が出て、祭を盛り上げると、この祭のメインイベントのひとつ、競馬式(こまくらべ)*2が催され、旧甲州街道の一之駒から四之駒までの200mを4頭の馬が3往復する。
5月4日は神輿に飾りの綱を掛けお祓いをする「御綱祭」や「萬燈大会」「子供神輿」が催され、夕方には提灯に飾られた22台の山車が巡行する。
5月5日が祭のクライマックスとなる。まず、「例祭」がとり行われ、「道清め」「太皷送り込み」と続き、御霊を本殿から神輿に遷す神事「御霊遷の儀」となり、いよいよ夕刻に神輿渡御が開始され、8基の神輿が御旅所に勇ましく向かう。この後、「野口仮屋の儀」*3「やぶさめ式」*4などの神事が行われる。かつてはこの渡御が真夜中の闇*5の中で行われたことから「くらやみ祭」と呼ばれるようになったとされる。
5月6日の最終日は早朝に神輿が御旅所を出て、町内を巡行し、本殿前に集結すると、本殿に還御、遷座する「鎮座祭」が行われて「くらやみ祭」が終了する。
4月30日には神職のお清めのため「品川海上禊祓式(潮汲み・お浜降り)=潮盛り神事」が品川の海上にて行われる。
5月1日には安全と晴天祈願の祭事「祈晴祭」が催され、5月2日は神輿奉持者(担ぎ手)の心を磨き清める「御鏡磨式」となり、神祭事の準備が進む。
5月3日の夕刻に、門前のケヤキ並木に10台ほどの囃子の山車が出て、祭を盛り上げると、この祭のメインイベントのひとつ、競馬式(こまくらべ)*2が催され、旧甲州街道の一之駒から四之駒までの200mを4頭の馬が3往復する。
5月4日は神輿に飾りの綱を掛けお祓いをする「御綱祭」や「萬燈大会」「子供神輿」が催され、夕方には提灯に飾られた22台の山車が巡行する。
5月5日が祭のクライマックスとなる。まず、「例祭」がとり行われ、「道清め」「太皷送り込み」と続き、御霊を本殿から神輿に遷す神事「御霊遷の儀」となり、いよいよ夕刻に神輿渡御が開始され、8基の神輿が御旅所に勇ましく向かう。この後、「野口仮屋の儀」*3「やぶさめ式」*4などの神事が行われる。かつてはこの渡御が真夜中の闇*5の中で行われたことから「くらやみ祭」と呼ばれるようになったとされる。
5月6日の最終日は早朝に神輿が御旅所を出て、町内を巡行し、本殿前に集結すると、本殿に還御、遷座する「鎮座祭」が行われて「くらやみ祭」が終了する。

みどころ
この祭りのみどころは、「競馬式」と「神輿渡御」の巡行だろう。
3日に行われる「競馬式」は華やかさはないものの、旧甲州街道を颯爽と走る駿馬たちの姿に、かつてこの地が良馬を生み出す産地で、馬市で賑わっていたことを思い起こす良い機会になるだろう。
「神輿渡御」で注目したいのは、神輿を先導する、六張りの大太鼓。その中で、最大の口径2mの「御先拂大太鼓」の音は腹の底まで響き渡る。夕刻、闇が迫ると、8基の神輿が、 “オイサ” “オイサ” の掛け声に煽られ、神社本殿から御旅所(旧甲州街道と府中街道の交差点)まで渡御される。大太鼓が響き、提灯も大きく揺れ、祭りはクライマックスを迎える。
このほか、4日に、比較的新しいイベントだが、萬燈大会が大鳥居の前で催され、重さ40Kgにもなる彩り鮮やかな大萬燈が振り回され、華やかな祭り気分をさらに盛り上げる。また、夕暮れから夜にかけては22台の山車が旧甲州街道とけやき並木通りに集結し、お囃子とともに、賑やかに巡行。こちらも祭り気分を十二分に楽しむことができる。
3日に行われる「競馬式」は華やかさはないものの、旧甲州街道を颯爽と走る駿馬たちの姿に、かつてこの地が良馬を生み出す産地で、馬市で賑わっていたことを思い起こす良い機会になるだろう。
「神輿渡御」で注目したいのは、神輿を先導する、六張りの大太鼓。その中で、最大の口径2mの「御先拂大太鼓」の音は腹の底まで響き渡る。夕刻、闇が迫ると、8基の神輿が、 “オイサ” “オイサ” の掛け声に煽られ、神社本殿から御旅所(旧甲州街道と府中街道の交差点)まで渡御される。大太鼓が響き、提灯も大きく揺れ、祭りはクライマックスを迎える。
このほか、4日に、比較的新しいイベントだが、萬燈大会が大鳥居の前で催され、重さ40Kgにもなる彩り鮮やかな大萬燈が振り回され、華やかな祭り気分をさらに盛り上げる。また、夕暮れから夜にかけては22台の山車が旧甲州街道とけやき並木通りに集結し、お囃子とともに、賑やかに巡行。こちらも祭り気分を十二分に楽しむことができる。

補足情報
*1 往古:「くらやみ祭」は、中世に当地に国府が置かれたため、「大國魂大神」と一之宮から六之宮までの「小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神」が国府の斎場に集まり、国守りの奉幣・祈願をしたことがはじまりではないかとされる。
*2 競馬式(こまくらべ):1800(寛政12)年に書かれた「六所宮傳記」では「乗鞍馬者十有二人、暗夜馳騁(ちてい=かけまわる)ス、往反凡テ十二度而終」と記されており、すでにこの祭事が定着をしていたことがわかる。この儀式は、中世において、多摩周辺が武士の勃興とともに馬の生産が盛んになり、この地で馬市が開かれ、国司は集められた馬のなかから良馬を朝廷に献上するために、馬場を走らせ、選定したことにはじまるといわれている。江戸時代に入っても江戸幕府からの馬の買い上げは続いたが、江戸後期になると、八王子などにその中心が移った。このため馬市は廃絶したが、「競馬式」は祭事としてそのまま受け継がれた。
*3 野口仮屋の儀:祭神の大國魂大神が当地に降臨した際、一泊の宿を野口家に求めたという伝承に因んだ神事で、宮司など神職が野口仮屋で接待を受ける儀式。
*4 やぶさめ式:野口仮屋から宮司が神馬で御旅所に向かい、馬上から弓で矢を射る神事。一般的な流鏑馬と異なり、矢が的に必ず当たることになっている。
*5 真夜中の闇:「六所宮傳記」では「日已(すで)ニ晩(暮)レ、人定ニ将ニ及ント、神輿御幸、亦燈火ヲ消シ、闇夜假宮ニ行御ス」とし、江戸後期の地誌「江戸名所図会」にも「燈火を消し暗となして、神輿をわたし奉る」とあり、神々の渡御する姿が見えようにするために暗闇で行ったといわれている。
*2 競馬式(こまくらべ):1800(寛政12)年に書かれた「六所宮傳記」では「乗鞍馬者十有二人、暗夜馳騁(ちてい=かけまわる)ス、往反凡テ十二度而終」と記されており、すでにこの祭事が定着をしていたことがわかる。この儀式は、中世において、多摩周辺が武士の勃興とともに馬の生産が盛んになり、この地で馬市が開かれ、国司は集められた馬のなかから良馬を朝廷に献上するために、馬場を走らせ、選定したことにはじまるといわれている。江戸時代に入っても江戸幕府からの馬の買い上げは続いたが、江戸後期になると、八王子などにその中心が移った。このため馬市は廃絶したが、「競馬式」は祭事としてそのまま受け継がれた。
*3 野口仮屋の儀:祭神の大國魂大神が当地に降臨した際、一泊の宿を野口家に求めたという伝承に因んだ神事で、宮司など神職が野口仮屋で接待を受ける儀式。
*4 やぶさめ式:野口仮屋から宮司が神馬で御旅所に向かい、馬上から弓で矢を射る神事。一般的な流鏑馬と異なり、矢が的に必ず当たることになっている。
*5 真夜中の闇:「六所宮傳記」では「日已(すで)ニ晩(暮)レ、人定ニ将ニ及ント、神輿御幸、亦燈火ヲ消シ、闇夜假宮ニ行御ス」とし、江戸後期の地誌「江戸名所図会」にも「燈火を消し暗となして、神輿をわたし奉る」とあり、神々の渡御する姿が見えようにするために暗闇で行ったといわれている。
2025年06月現在
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