大猷院霊廟たいゆういんれいびょう

東照宮の西方約500m、大黒山にある徳川3代将軍家光公の霊廟である。家光公は1651(慶安4)年4月、48歳で没し、その遺命によって同年5月、遺骸をここに葬った。霊廟建築は1652(承応元)年2月に工を起こし、翌年4月に完成。建築総指揮は幕府の作事方大棟梁であった平内大隅守応勝。
 境内は東照宮に準じた伽藍配置であるが、東照宮の絢爛豪華な意匠に比較すると、全体に小規模で繊細な印象を受ける。参道の石畳の美しさ、登るにつれて展開する建築配置の妙など、ゆるみのない外観も見事であるが、特に本殿は江戸初期を代表する霊廟建築の傑作とされている。
 境内は輪王寺の所管、大猷院とは徳川家光公の諡号である。
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みどころ

3代将軍家光公の廟所(墓所)で、祖父の「家康公」を凌いではならない、死後も家康公に仕えるという遺言により、金と黒を使用した重厚で落ち着いた造りが特徴的である。
 東照宮に比べて全体的に規模が小さく華やかさは抑えられているが、日光の境内で1番大きな門である「二天門」*、明朝様式の竜宮造りで別名竜宮門とも呼ばれる「皇嘉門」*など見どころも多い。
 大猷院の建物は東照宮に向いて見守るように建っているところからも、家光公の家康公への敬愛の念が感じられる。(溝尾 良隆)
 国宝:大猷院(本殿・相の間・拝殿*)
 重要文化財:大猷院(仁王門*、二天門、夜叉門*、皇嘉門等)
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補足情報

*仁王門:二荒山神社の左手奥、参道の突き当たりに立つ切妻造、銅瓦葺の八脚門。東照宮の表門に相当する建築で、大きさもほぼ同じだが装飾は比較的少なく、彩色も単調である。門の左右の間に仁王像を安置する。
*宝庫:仁王門を入った左側にある簡素な校倉造の1棟。東照宮の三神庫に相当するが、規模はごく小さい。
*御水舎:仁王門を入って、不整形の神奈川県産の根府川石を敷きつめた美しい参道を進んだところにある。四方吹抜きの小建築であるが、大猷院建築中でも屈指の優れた意匠で、東照宮の御水舎と比べても一段と優麗である。内部には花崗岩の水盤を置き、真上の鏡天井に雲竜の墨絵を描き、晴れた日は水盤に竜が泳ぐように映ったという。水盤の水は樋で谷水を引いている。
*二天門:参道を御水舎前で左へ曲ると、正面の石段上に見える楼門で、これに相当する門は東照宮にない。正面10m、側面6.3m、山内の諸門のうちではもっとも大きく、入母屋造、正・背面に軒唐破風を付け、上層部は極彩色の彫刻で飾られている。門の前後を高い石段にはさまれているため、見上げ、見下ろす景観を考えて、装飾は上層部に集中している。3間1戸の中央が通路、正面左に持国天、右に増長天を安置し、背面左右には、風神・雷神像を安置する。
*鐘楼・鼓楼:二天門から鉤形に曲がる高い石段を登りきったところ、参道左右の狭い平地に立つ2棟。右が鐘楼、左が鼓楼、入母屋造、同一規模の簡素な楼建築である。大猷院境内には、銅燈篭・石燈篭合わせて約300基が見られるが、いずれも諸大名の奉納。
*夜叉門:鐘楼・鼓楼が相対して並ぶ参道の正面、石段上にあり、東照宮の陽明門に相当する門である。正面3間、側面2間、単層、切妻造、正面と背面に軒唐破風を付け、面積は約40m2。正面左右の間に赤と青、背面には白と群青色に塗られた夜叉を安置している。また扉や羽目など、門の装飾はすべてあでやかな牡丹の彫刻で統一されているので牡丹門とも呼び、彩色は金色を主調として、壮麗な感じである。左右2間ずつの黒塗袖塀と、それに続く6間ずつの回廊も極彩色を避け、極めて質素な意匠であるが、全体に霊廟建築にふさわしい、荘重な趣が漂っている。
*唐門:夜叉門を入り、正面の小高い石段上に立つ。霊屋の正門にあたり、門の左右から出た典雅な透塀が霊屋を囲んでいる。唐門は正面3m、側面1.8mというきわめて小さな2脚門である。前後唐破風屋根の破風内に舞鶴の彫刻を施し、正面2本の親柱は漆箔金襴巻、扉は両開桟唐戸、金箔に精巧な浮彫を施し、全体に優美な気品が感じられる。
*本殿・相ノ間・拝殿:唐門の内にある権現造の1棟。東照宮寛永の大造替から、わずか16年後に造営された建物であるが、その間の建築技術や表現感覚に大きな相異が生まれていることに注目したい。東照宮の石ノ間に相当する相ノ間は、床高が拝殿と同じになり、つなぎの間としての役割から一歩進んで中殿の形式をとっている。拝殿は正面7間、側面3間、単層入母屋造、内部は折上格天井の63畳敷1室、左右の羽目には狩野探幽・安信筆と伝える金地に唐獅子の図がある。本殿は方5間、重層入母屋造、拝殿・相ノ間より1段床が高くなり、内部は方3間に円柱を立て、外回り1間が外陣、円柱の内部が内陣である。内陣奥の中央に須弥壇を設け、精巧な宮殿風の厨子に大猷院(家光公)の尊像を祀っている。堂の内部は金色、外部は黒と金を主調とした装飾を施し、仏殿らしい荘重な意匠である。多分に桃山時代の影響を受け継いで造営された東照宮建築に比較すると、意匠・技巧ともに江戸初期の建築様式の完成を思わせる優れた建築構成になっている。
*皇嘉門:唐門前から右へ、透塀の外側に沿って奥へ進むと、右手奥の石段上に見える。切妻造、下部に白い漆喰壁を大きく張り出した中国風の建築で、竜宮城を思わせるような美しさである。奥ノ院*の入口にあたる。
*奥ノ院:皇嘉門の奥、老松古杉の茂る中に急な石段が曲折して、本殿の右側にあたる高みに徳川家光の墓所がある。拝殿・鋳抜門・宝塔などが立ち、東照宮奥社とほぼ同じ形式の幽邃な霊域である。非公開。
関連リンク 日光山輪王寺_大猷院(WEBサイト)
参考文献 日光山輪王寺_大猷院(WEBサイト)

2022年06月現在

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