偕楽園かいらくえん

水戸駅の西方に広がる都市公園で、梅の公園としても知られ、金沢の兼六園、岡山の後楽園とともに日本三名園の一つに数えられる。本園と拡張部と合わせ、面積58万m2におよぶ広大な公園*である。本園は1842(天保13)年、徳川斉昭*が造園し、藩主1人が楽しむものではなく、領民と偕(とも)に楽しむという意味から「偕楽園」と名付けられた。千波湖や桜川、田圃など周囲の自然環境、景観を巧みに取り入れ、面積約11万m2の本園中央に梅林を、高台に好文亭*を配し、表門付近の西北部には老杉や竹林が茂り幽すいな気配が漂っている。約100品種、3,000本にのぼる梅*は12月から3月にかけて次々と咲き、観梅客で賑わう。斉昭は梅が百花にさきがけて厳冬に馥郁と咲くのを愛した。また非常用の梅干製造も目的としていたという。
 例年、開花の最盛期となる2月中旬~3月下旬に梅まつりが開催される。このほか、広い園内は多彩な植栽がなされており、春には桜、初夏にはツツジ、真夏には緑あざやかな孟宗竹や杉林、秋には可憐な萩の花やモミジなどが見られる。また、偕楽園本園の眼下には拡張部の公園が広がり、田鶴鳴(たづなき)、猩々(しょうじょう)、窈窕(ようちょう)の各梅林、芝生広場の四季の原、水鳥たちが遊ぶ月池などが点在している。隣接地には常磐神社や徳川ミュージアム、茨城県立歴史館*などもある。
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みどころ

多くの文人墨客が偕楽園を訪れ、好文亭からの景観を称賛している。明治の文人で紀行文の名手、大町桂月は「歩して樂壽樓に至り、その三層樓(好文亭の3階)に上る。千波湖、 脚下にあり。 矚望甚だ佳なり」と記し、俳人正岡子規は「余は未(いま)だ此(かく)の如く婉麗幽遠なる公園を見たることあらず」と絶賛し、「崖急に 梅ことごとく 斜めなり」と俳句にもしている。また、詩人北原白秋は 好文亭の梅の間にある襖絵をみて「梅の間よ 今は眺めてしづかなり 一際にしろき梅の花見ゆ 春早くここに眺むる誰々そ 一樹のしろき寒梅をあわれ」と詠んだ。好文亭自体の造りも景観に調和し、また、庭園、梅林、千波湖などを眺望するのに最適な構造にとなっている。
 偕楽園は、現在は東門、南門、西門など、四方から入園できるようになっているが、表門から入ると、孟宗竹林、大杉の林にクマザサが繁茂して閑寂な佇まいが広がり、「陰」を構成している。一方、好文亭まで至ると、一挙に視界が広がり、「陽」を演出する造りになっている。これは、設計した徳川斉昭が「偕楽園記」のなかで示した、万物の道理には「陰」と「陽」があり、「一張一弛」、すなわち張り詰めるばかりでなく弛める時も必要だという思想を表現しているものと言われている。これを実体験してみるのも面白い。
 梅まつり中は、例年、観梅客で混雑するが、伸びやかな造りの庭園のなかでの観梅は見ごたえがある。(志賀 典人)
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補足情報

*公園:面積58万m2のうち、国の指定史跡名勝となっているのは13.9万m2(偕楽園本園含む)。
*徳川斉昭:1800(寛政12)~1860(万延元)年。水戸9代藩主。諡は烈公。藤田東湖らの人材を登用し、文武の奨励、質素倹約の強化、殖産興業などの藩政改革を断行。一時謹慎させられたが、ペリー来航後、幕政に参与し、軍制・海防の改革、強硬な攘夷論を主張した。しかし、14代将軍の継嗣問題で井伊直弼と対立し、安政の大獄に連座、国許永蟄居を命じられ、そのまま死去。
*好文亭(こうぶんてい):公園の南西部に閑雅な味わいをもつ木造2層3階の好文亭と奥御殿が立つ。この2つの建物を総称して好文亭という。「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」という中国の故事から梅の異名となっている好文木にちなんでこの名をつけた。ここで文人雅客を招き、詩歌、管絃、茶会などが催されたが、水戸城非常の際の避難所・物見所として軍時的役割も果たした。好文亭の3階、楽寿楼は東南西に眺望が開け、梅やツツジ、萩の咲き乱れる園内を越えて千波湖やはるか筑波の山並みが望める。設計は斉昭。好文亭は戦災等により焼失し、1958(昭和33)年、奥御殿は1972(昭和47)年に復元している。また、東日本大震災により、一部損壊したが、2012(平成24)年には修復し、襖絵については2018(平成30)年に修復している。
*梅:偕楽園の梅は、品種が豊富なことでも有名。なかでも花の形・香り・色などが特に優れている、「江南所無」、「白難波」、「月影」、「虎の尾」、「柳川枝垂」、「烈公梅」の6品種を選び、1934(昭和9)年に「水戸の六名木」とした。
*茨城県立歴史館:茨城県の歴史に関する資料を収集、整理、保存、調査研究し公開しており、文書館機能と博物館機能を併せ持つ。常設展示では、水戸藩を含め古代から近現代までの茨城の歴史を映像やグラフィックパネル、模型、レプリカ、実物資料など多様な資料を活用し展示しているほか、随時企画展示も行っている。また、茨城県に関する公文書、資料などが保存され、閲覧も可能。本館のほかに、江戸時代の農家建築や明治時代の洋風校舎が移築されている。
関連リンク 梅の芳香と歴史の景勝地 偕楽園(WEBサイト)
関連図書 正岡子規著『水戸紀行』講談社、大町桂月著『水戸観梅記』興文社(青空文庫版)
参考文献 梅の芳香と歴史の景勝地 偕楽園(WEBサイト)
梅の芳香と歴史の景勝地 偕楽園(偕楽園の歩き方)(WEBサイト)
偕楽園弘道館パンフレット
茨城県(WEBサイト)
水戸市(WEBサイト)

2020年12月現在

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