鹿島神宮祭頭祭かしまじんぐうさいとうさい

祭頭祭は毎年、3月9日に執り行われる*。起源は、奈良時代あるいは平安時代ともいわれているが、近世までは、その囃し言葉*から窺えるように「五穀豊穣」を主に祈る祭りであったり、神仏習合の影響を受け、釈迦入滅の「常楽会」(涅槃会)ともされ、幕末までは鹿島神宮と神宮寺*が習合して執り行っていた。昭和初期には、軍国化の時流の中で「防人の祭」とも位置づけられるようになった。いずれの由縁も鹿島神宮が、外洋に向かい、内陸との結節点であったことから、「出立・始まり」を意味する「鹿島立ち」の古代信仰につながると考えられている。
 祭りは、神宮の氏子の郷(字)から選ばれた左方、右方の2郷(字)が、それぞれ肩車に載せた五歳位の新発意(しぼち)*を先頭に、華やかな衣装に彩り豊かなタスキを身に付た囃子200人ほどが町を練り歩く。その際、太鼓を中心に十数名が一組になって、囃子歌を歌い、1.8mほどの樫棒を打ち組み、ほどくことを繰り返しながら境内に向かい、神前で一斉に囃しとともに樫棒を打ち組み、打ち鳴らす。
 神前では春季祭として、五穀豊穣を願い、万灯とともに各郷(字)から奉納された大豊竹がササラになってしまうほど打ち砕く。最後に翌年の当番となる郷(字)が神卜で決まり、新発意のこどもも選ばれ、クライマックスを迎える。
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みどころ

色鮮やかな祭りの衣装を着た老若男女が樫棒を打ち組み、打ち鳴らす様は、迫力があり、纏を持った先導たちが勇壮に舞う。太鼓のリズムに合わせた囃しは、春を迎える喜びがあふれている。
 祭りには、様々な信仰や文化の影響がみられ、長い歴史の積み重ね、変遷を感じさせるものがある。(志賀 典人)
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補足情報

*祭頭祭は毎年、3月9日に執り行われる:3月9日が土日の場合は、祭頭祭(午前の神事)、祭頭囃(午後の神事)、春季祭(夜の神事)の全てを行う。平日の場合は、祭頭祭のみ平日に行い、祭頭囃・春季祭は直後の土曜日に行う。
*囃し言葉:囃し言葉はアドリブも含め多様性はあるが、基本形は「弥発生(イヤーホエ) 鹿島の豊竹(トヨタケ)豊穂良豊穂弥(トホ ヨ ト ホ イヤー)」で始まり、豊穣を願う言葉が基本である。
*神宮寺:旧鹿島山金蓮院神宮寺で、現在、奥参道に脇にある鹿園辺りにあった。
*新発意:本来の意味は僧になって間もない人のことを指す。この祭りでは選ばれた5歳くらいの子供を神の化身として扱い、大総督とも呼んでいる。

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