米沢上杉まつりよねざわうえすぎまつり

米沢上杉家*の家祖である上杉謙信を祀る上杉神社と、上杉鷹山、上杉景勝、直江兼続などを祀る松岬神社の春の例大祭に合わせ、米沢市を挙げての春の祭り。毎年4月29日~5月3日に開催される。第2次世界大戦前は「県社のまつり」あるいは「城下のまつり」といわれ、神輿渡御や武者行列などを行っていた。戦後、復興が進むなか、両神社の例大祭が復活し、5月の連休に合わせ、商工まつりやさくら祭りなどが開かれるようになり、1956(昭和31)年から「米沢まつり」、1963(昭和38)年からは「米沢上杉まつり」へと発展した。
 祭りは、4月29日が上杉神社、4月30日松岬神社の例大祭。5月2日には上杉謙信が出陣に際し毘沙門天の加護を祈願したという武てい式が執り行われ、甲胄に身を固めた上杉軍団行列も見ることができる。5月3日には上杉神社神輿渡御や上杉軍団行列が市内を練り歩き、午後から市内の松川の河川敷で甲州武田信玄軍との川中島合戦が再現される。
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みどころ

武てい式は甲冑を付けた武者軍団の前で、かがり火が煌々と燃えるなか、軍神勧請などの神事が1時間に渡って執り行われ、周囲にも厳粛な雰囲気が伝わってくる。
 5月3日の上杉・武田両軍総勢数百名が激突する川中島合戦も見ごたえがある。火縄銃の発砲、謙信と信玄の一騎打ちの再現や、川渡りなど迫力あるシーンが続き、観客から歓声が沸きあがり、まさに戦国絵巻が目の前で繰り広げられる。
 残雪の吾妻山を借景にして、松が岬公園のサクラの満開(例年4月中旬から下旬)、散り際を春の祭りとともに楽しむこともできる。(志賀 典人)
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補足情報

*上杉家:桓武平氏を祖とする上杉謙信が越後守護代長尾景虎のとき、室町幕府の関東管領上杉憲政に管領職と家名を譲られたのが始まり。謙信と二代景勝は越後春日山城を本拠とした。景勝は豊臣時代の五大老で、会津120万石に移封後、関ヶ原の戦いで石田側に味方し、戦後は米沢30万石に減封。以後幕末まで米沢藩主として代々続いた。4代綱勝の急死で跡目相続未定のため、さらに15万石に減封。5代綱憲は元禄年間(1688~1704年)の江戸城刃傷事件の吉良義央の長男である。9代上杉治憲(鷹山公)は藩政改革を行い、白河藩主松平定信と並び称される名君といわれている。
関連リンク 米沢上杉まつり(WEBサイト)
関連図書 『山形県の歴史散歩』山川出版、2011年
参考文献 米沢上杉まつり(WEBサイト)
やまがたへの旅(やまがた観光情報センター)(WEBサイト)
戦国観光(山形おきたま観光協議会)(WEBサイト)

2020年12月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。

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