津軽三味線会館つがるしゃみせんかいかん

津軽三味線は、もとは津軽民謡の伴奏に用いた三味線で、現代では力強く、激しく、その一方では繊細な独自の音色の演奏で広まってきている。津軽三味線会館は、津軽三味線の始祖「仁太坊」*の生誕の地である五所川原市金木町に2000(平成12)年に開館したもので、津軽三味線の歴史、民謡、郷土芸能等を紹介、実演する会館。展示室をはじめ、舞台演奏ができる多目的ホール、屋外ステージからなる施設である。
 展示室では、津軽三味線のルーツや歴史、津軽民謡、郷土芸能等を紹介しており、「世界の弦楽器・三味線」コーナーでは、それぞれの楽器の音色を聴くことができる。また三橋美智也*の軌跡も、当時着ていたステージ衣装や多数のパネルにより常設展示で紹介されている。
 金木町では津軽三味線全日本金木大会が*が開催されており、全国から出場者が訪れその技術を競い合う。
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みどころ

多目的ホールでは毎日数回津軽三味線のライブステージが行われており、気軽に津軽三味線を楽しむことができる。津軽三味線や観光に関するビデオも上映されている。また事前予約すればプロから津軽三味線の体験指導が受けられる。
 この施設に隣接して太宰治記念館「斜陽館」、金木観光物産館「産直メロス」が徒歩圏内にあり、これらの施設もあわせて半日観光できる。
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補足情報

*津軽三味線の始祖 「仁太坊」:秋元仁太郎は1857(安政4)年に金木町神原に生まれた。疱瘡が原因で8歳で失明し、12歳のころ、上方から流れてきた女三味線弾きに三味線を習ったと伝えられている。「人まねでね おめの三味線を弾け」という三味線哲学を持ち、現代の津軽三味線奏者に大きな影響を与えた。
*三橋美智也:1930~1996年。昭和後期から平成時代にかけて活躍した歌手で、全盛期は昭和30年代前半。おさないころから津軽三味線を習って民謡を歌い、民謡できたえた美声で「哀愁列車」「リンゴ村から」「夕焼けとんび」「古城」などをヒットさせた。
*主な津軽三味線の全国大会:青森市(津軽三味線日本一決定戦)、弘前市(津軽三味線世界大会)、五所川原市(津軽三味線全日本金木大会)がある。青森市の大会は三味線と民謡の唄付けが評価対象であり、弘前市の大会は一番の歴史がある。五所川原市の大会は仁太坊の生まれた土地で行われ、津軽三味線の五つの技術水準(五ツ物=「津軽じょんがら節」、「津軽小原節」、「津軽よされ節」、「津軽あいや節」、「津軽三下り」の五大民謡)をマスターしていることが参加基準となっている。