仏ヶ浦ほとけがうら

斧の形をした下北半島の刃の部分、津軽海峡に面した福浦(ふくうら)と牛滝(うしたき)の間約2kmの白い岩の奇岩からなる海岸線である。
 名前の由来は、アイヌ語の「ホトケウタ-仏のいる浜」が転訛した結果「仏ヶ浦」と呼ばれるに至ったという説や、「如来の首、十三仏、五百羅漢等の姿が仏像仏具を思わせ、ほとんどが仏の名にちなんでいることから、仏ヶ浦」の名もこれに由来するなど諸説ある。1922(大正11)年大町桂月*がこの地を訪れ、その造形の奇妙さに感歎して歌を詠んで以来、広く知られるようになった。仏ケ浦桟橋付近には恐山奥の院の地蔵堂や大町桂月の歌碑「神のわざ 鬼の手造り佛宇陀(ほとけうた) 人の世ならぬ処なりけり………」がある。また、この仏ケ浦は水上勉の小説「飢餓海峡」*の舞台にもなったところである。
約2,000万年前海底火山活動により火山灰の堆積物が堆積し一部に緑色凝灰岩が形成され、その後海底が隆起して大地となった。隆起した緑色凝灰岩が海流の浸食を受けて生じた波食崖に、さらに風化作用が加わって大小さまざまな奇岩怪石を造り出し、後に起こった隆起により、下部に平坦な海食台が現われたものと考えられている。
 仏ヶ浦へのアプローチは船によるアクセスと車+徒歩でのアクセスがある。船からの探勝がお勧めであり、佐井からと牛滝(不定期)からの遊覧船がある。仏ヶ浦上陸時に案内人による15分程度のガイドがある。仏ケ浦方面への道路はあるが途中の展望台から遠望するか、近くの駐車場から海岸線までの崖路を降りて見学するかになる。この場合、仏ヶ浦まで徒歩で下り約15分登り約30分、標高差100mの坂道となる。
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みどころ

海の青、海岸線の白い奇岩、岩の上部の深い緑のコントラストが美しい。奇岩が神仏のように群立するさまは、まさに地の果ての極楽浄土といった光景である。これらの岩石の名前も五百羅漢、如来ノ首、蓮花岩、一ツ仏、観音岩、地蔵岩など仏にちなんだものが多い。このほか屏風岩、双鶏門、帆掛岩、蓬莱山、天竜岩など続き、白緑色の凝灰岩の奇岩の数々は見るものの心に驚きと感激を生むことであろう。
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補足情報

*大町桂月:1869~1925年。明治大正時代の文人、旅行作家。旅と酒とをこよなく愛し後半生は、「行雲流水」や「日本の山水」などを刊行、紀行文家として名声を獲得した。
*飢餓海峡:過去に数々の残酷な殺人を犯し、後に食品会社社長となった樽見京一郎が主人公。貪困のどん底から抜けだし、人並みの地位を得ようとする。殺人犯は函館の七重浜から船を漕ぎだし、青森県下北半島の仏ヶ浦にたどり着く。これを追う刑事………。1954(昭和29)年9月26日、台風のまっただなかに遭難した青函連絡船洞爺丸沈没の海難事故に想を得て水上勉が創作したミステリアスな社会小説の長編。週刊朝日の1962(昭和37)年1月5日号から同年12月28日号まで連載。