日本キャニオンにほんきゃにおん

JR五能線十二湖駅の東約2.5km、十二湖の入口にあたる一帯に位置する。濁川上流の渓谷にそびえる大断崖で、山崩れで露出した白い凝灰岩が特異な景勝をつくっている。規模こそはるかに及ばないが、アメリカのグランドキャニオンに似ているので1953(昭和28)年探検家の岸衛の発言*によって日本キャニオンと命名されたという。
 日本キャニオンは低位置氷河地遺跡だという説があったが、凝灰岩の岩磐中にある侵蝕盆であるという説があり、現在は大地震や大雨が引き金となって、大規模な山崩れを起こしたものではないかと考えられている。
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みどころ

大町桂月*は、1922(大正11)年11月に十二湖周辺をくまなく探勝、「日暮し山の眺望、湖畔群の幽闇、紅葉の残照など十二湖は天下の奇観である。他日、必ず天下にその名を知られるであろう」と賞賛しているが、この日暮し山は現在の日本キャニオン周辺の場所の呼び名であったという。 
 米国のグランドキャニオンのスケールにはほど遠いが、わが国の渓谷では珍しく白く輝く美しい景観と言える。
 車道では到達できないため十二湖の「八景の池」近くの駐車場から展望台へ行く山道をたどる。約20分登ったところに「日本キャニオン展望所」があり、ここから眼下にのぞむ眺望は一見の価値ありである。この他十二湖からの歩道、あるいは渓谷から見上げる歩道がある。また、二ツ目の池から国道101号線に下る北側の道の途中から白く続く壁を遠望できる。
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補足情報

*岸衛の発言:この地を訪れてグランドキャニオンの小型だと思い「なーんだ、ベビーキャニオンじゃないか」と発言したという。
*大町桂月:1869~1925年。明治大正時代の文人、旅行作家。旅と酒とをこよなく愛し後半生は、「行雲流水」や「日本の山水」などを刊行、紀行文家として名声を獲得した。

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