五老ヶ滝
熊本県東部の上益城郡山都町、九州自動車道山都通潤橋ICから車で約10分にある。
阿蘇南外輪山の裾野に位置する山都町には数多くの滝が点在し、矢部四十八滝*と呼ばれる。その中で水量、落差ともに最大級である。滝の周囲は阿蘇山の噴火に起因する溶結凝灰岩から成り、滝つぼの壁面に柱状節理*が見られる。
五老ヶ滝という名前の由来は、かつてこの一帯を治めていた阿蘇氏*が朝廷の使者をもてなした際に「ご覧に入れた滝」が「ご覧の滝」になり、「五老ヶ滝」になったと言われる。
阿蘇南外輪山の裾野に位置する山都町には数多くの滝が点在し、矢部四十八滝*と呼ばれる。その中で水量、落差ともに最大級である。滝の周囲は阿蘇山の噴火に起因する溶結凝灰岩から成り、滝つぼの壁面に柱状節理*が見られる。
五老ヶ滝という名前の由来は、かつてこの一帯を治めていた阿蘇氏*が朝廷の使者をもてなした際に「ご覧に入れた滝」が「ご覧の滝」になり、「五老ヶ滝」になったと言われる。
みどころ
遊歩道が整備されていて、展望所やつり橋では落差50mの直瀑の全景がきれいに見える。遊歩道の途中にある階段を下りると滝つぼの近くまで行くことができ、轟音を立てながら勢いよく流れ落ちる滝からは容赦なく水しぶきが飛んできて、滝の両側に広がる彫刻のような岩肌には圧倒される。
五老ヶ滝は通潤橋の下流にあり、遊歩道は通潤橋まで続いている。五老ヶ滝から通潤橋まで歩いて15分ほど、気軽な散策にぴったりである。
五老ヶ滝は通潤橋の下流にあり、遊歩道は通潤橋まで続いている。五老ヶ滝から通潤橋まで歩いて15分ほど、気軽な散策にぴったりである。
補足情報
*矢部四十八滝:熊本県上益城郡山都町に多数点在する滝をさす総称。このうち五老ヶ滝と聖滝は2015(平成27)年3月に国名勝に指定された。矢部とは熊本県東部の上益城郡にあった旧町名(矢部町)で、現在の山都町西部にあたる。
*阿蘇氏:阿蘇神社の大宮司職を古代より務めてきた阿蘇氏は、我が国でも有数の旧家として知られる。中世には武士化して矢部・甲佐・益城などに進出し、肥後国中部を勢力下とした在地領主に成長した。戦国時代になると大友氏と島津氏の二大勢力の狭間で徐々に勢力が衰え、1587(天正15)年の豊臣秀吉による九州平定後は神職の地位につき、現在まで続いている。江戸時代には藩主の加藤氏や細川氏から厚い保護を受けた。
*柱状節理:火山から流れ出た溶岩や溶結した火砕流堆積物が冷えて縮むときに、五角形や六角形の柱のような割れ目をつくる現象。
*阿蘇氏:阿蘇神社の大宮司職を古代より務めてきた阿蘇氏は、我が国でも有数の旧家として知られる。中世には武士化して矢部・甲佐・益城などに進出し、肥後国中部を勢力下とした在地領主に成長した。戦国時代になると大友氏と島津氏の二大勢力の狭間で徐々に勢力が衰え、1587(天正15)年の豊臣秀吉による九州平定後は神職の地位につき、現在まで続いている。江戸時代には藩主の加藤氏や細川氏から厚い保護を受けた。
*柱状節理:火山から流れ出た溶岩や溶結した火砕流堆積物が冷えて縮むときに、五角形や六角形の柱のような割れ目をつくる現象。
関連リンク | 山都町商工観光課(WEBサイト) |
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参考文献 |
山都町商工観光課(WEBサイト) 公益財団法人肥後の水とみどりの愛護基金 文化遺産オンライン(WEBサイト) 五老ヶ滝遊歩道にある案内板 |
2024年11月現在
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