球磨川(人吉付近)くまがわ(ひとよしふきん)

球磨川は、その源を熊本県球磨郡水上村の銚子笠(標高1,489m)に発し、多くの支川を合わせながら流れる。人吉市近くでは川辺川と合流して水量も豊かな河川となり、人吉盆地をほぼ西に向かって貫流する。盆地を抜けると、流向を北に転じながら山間の狭窄部を縫うように流下し、河口付近の八代市では、球磨川の本流、分派した前川、南川が広大な三角州を形成しながら八代海へ注ぐ。熊本県内では最大の河川で、全長は115km、流域面積は1880km2に及ぶ。
 人吉盆地や八代平野では河川水を利用して肥沃な穀倉地帯が形成されているなど、古くから人々の生活、文化と深い結びつきを持っている。歴史小説家・司馬遼太郎は、その著書『街道をゆく』で、人吉球磨地域のことを「日本でもっとも豊かな隠れ里」と記している。しかし、一方で、ひとたび洪水を起こすと流域の被害は甚大であることから、古来より「暴れ川」としても知られている。
 かつて人吉から八代まで巨岩がひしめく急流が続き、水運に利用するのが難しかったが、相良氏22代当主相良頼喬の代に林正盛が、1662(寛文2)年から私財を投げうって開削事業に着手した。無数の巨岩を取り除く難工事の末、1664(寛文4)年には川舟の航行が可能な開削が完成し、翌年には川舟の航行がはじまった。以来、球磨川は外部との交通・物流の幹線として、また参勤交代にも利用され、人吉・球磨地方の発展に多大な貢献を果たしてきた。1908(明治41)年に肥薩線人吉~八代間が開通するまで重要な交通機関となっていた。
 球磨川は、険しい山々の間を流れることから、最上川(山形県)や富士川(長野県・山梨県・静岡県)と並ぶ急流として知られ、中流域では奇岩・怪岩が点在する景色を見せる。スピードや運搬量に勝る鉄道の登場(1908(明治41)年)で舟運は一気に衰退したが、その後は観光用として「球磨川くだり*」の船が運航されている。
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みどころ

球磨川は、季節によって異なる顔を魅せる。桜の季節には花のピンクと水の青のコントラストが美しい。冬の朝には水面から靄が立ち上る幻想的な光景が現れる。球磨川くだりの船着き場からは、建物が密集する市街地にあって、球磨川と人吉城の石垣だけの風景を望むことができる。
 球磨川の最大の楽しみ方は、100年以上の歴史をもつ「球磨川くだり」。ゆるやかに進む船上から清流と渓谷美が満喫でき、野鳥や山野草などの眺めを楽しめる。春の桜や秋の紅葉も見事。12月から2月は冬季限定の風流な「こたつ舟」が運航される。“船頭”と船の後ろで舵を握る“ともはり”の2人の巧みな舵さばきに驚かされる。
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補足情報

*球磨川くだり:舟運の衰退後、温泉旅館「翠嵐楼」の創業者・川野廉翁が観光遊覧船事業を発案。試行錯誤を繰り返し、ついに宿泊客を乗せた遊覧船を宿泊客の希望に応じて運航し、好評を得る(1911(明治43)年)。その後、需要の高まりを受けて定期船を運航。太平洋戦争で中断したが戦後再開。運航会社3社による競合の時代を迎えるが、1962(昭和37)年7月14日に発生した転覆事故により客足が減少、1963(昭和38)年、人吉市の斡旋で3社が合併し、「人吉観光株式会社」(現、球磨川くだり株式会社)が誕生し、現在に至る。
*川辺川の流水型ダム:球磨川の治水対策として、支流の川辺川には流水型ダムの建設が予定されている。ダムの高さは107.5m、横幅がおよそ262.5m、総貯水容量はおよそ1億3千万m3と、治水専用のダムでは国内最大級の規模となる。流水型ダムは、大雨の時以外は水を貯めず、平常時は通常の川が流れている状態となることから、貯留型ダムと比べて、流入水と同じ水質を維持しやすく、魚類等の遡上・降下や土砂の流下などの河川の連続性を確保しやすい等の環境面の特徴がある。

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