大川内山(伊万里焼)おおかわちやま(いまりやき)

市南部の大川内山は1675(延宝3)年に有田南川原山から鍋島藩の御用窯が移されて以来、明治時代まで色鍋島・鍋島青磁などが焼かれていたところである。今日、個人窯がその技術を受け継いでいるが、御用窯時代の関所跡、登窯跡、陶工の墓なども残っている。大川内山のレンガ造の煙突や磁器の破片の落ちた小道には窯元の町の雰囲気がある。
 なお、鍋島藩窯公園には清源・御経石古窯も復元されている。
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みどころ

伊万里の中心部から大川内山の集落に向かっていくと、沿道にはだんだん家が少なくなっていく。小高い山々に抱かれた大川内山の集落は、隠れ里のような雰囲気があり、ここに、鍋島藩窯が移され、明治期まで焼かれていたことを想像すると感慨深い。今も多くの窯元、焼き物を販売する店があり、焼き物の町という印象を与えてくれる。
 斜面に沿って広がる迷路のような町並みも面白く、地図を見ずにさまよい歩くと意外な出会いがあって楽しいだろう。レンガ造りの煙突や、磁器をあしらった小道、登り窯などが町に点在し、絵になる風景がたくさんあるので、写真愛好家には特におすすめしたい。
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補足情報

*有田焼と伊万里焼は、本来は同じもの。伊万里の港から海外へ輸出していたことから「伊万里焼」と呼ばれるようになった。
関連リンク 伊万里鍋島焼協同組合(WEBサイト)
参考文献 伊万里鍋島焼協同組合(WEBサイト)

2020年04月現在

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