玉せせり
筥崎宮の全国的に知られた祭りで、玉取祭、別名「玉せせり」という。起源は定かではないが、室町時代に始まったとされる。
1月3日の午後1時、陰陽2つの木玉は玉洗い式で清められ、その後末社玉取恵比須神社へ移動、祭典の後、いよいよ玉せせりがスタートとなる。直径28cmの陽玉は、ふれると悪事災難を逃れ幸運を授かるといわれ、裸に締込み姿の青年たちが浜側・陸側に分かれて争奪戦を繰り広げる。玉は本宮まで競り進み、陰陽2つの玉が揃って本宮に納まり終了となる。浜側が勝てば大漁、陸側が勝つと豊作という年占の一つである。
1月3日の午後1時、陰陽2つの木玉は玉洗い式で清められ、その後末社玉取恵比須神社へ移動、祭典の後、いよいよ玉せせりがスタートとなる。直径28cmの陽玉は、ふれると悪事災難を逃れ幸運を授かるといわれ、裸に締込み姿の青年たちが浜側・陸側に分かれて争奪戦を繰り広げる。玉は本宮まで競り進み、陰陽2つの玉が揃って本宮に納まり終了となる。浜側が勝てば大漁、陸側が勝つと豊作という年占の一つである。
みどころ
昔は筥崎宮のみならず、あちこちで行われた夷社の「珠はやし」の行事であったものが、今では当地に色濃く伝承されていることが貴重である。北部九州各地に神功皇后の伝説が残るが、この玉せせりもその一つで、祭りで使用される玉の由来について、神功皇后が三韓征伐の折に、龍神の捧げた満珠干珠の玉にあやかったという説があるのも興味深い。
寒空の下、締込み姿の男たちが一心不乱に陽の玉を奪い合う様は迫力満点で、一見の価値がある。ザンブザンブと勢い水がかけられ、勇壮である。写真愛好家もぜひ撮影に行ってほしい。
寒空の下、締込み姿の男たちが一心不乱に陽の玉を奪い合う様は迫力満点で、一見の価値がある。ザンブザンブと勢い水がかけられ、勇壮である。写真愛好家もぜひ撮影に行ってほしい。
関連リンク | 筥崎宮(WEBサイト) |
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参考文献 |
筥崎宮(WEBサイト) 福岡市(WEBサイト) クロスロードふくおか(公益社団法人福岡県観光連盟)(WEBサイト) |
2020年04月現在
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