(土佐)国分寺(とさ)こくぶんじ

土佐くろしお鉄道阿佐線(ごめん・なはり線)後免(ごめん)駅の北2.5km。高知市内に通じるとさでんバスの最寄りバス停から徒歩20分。
 紀貫之*が国司として4年間滞在した国府の地。土佐国分寺は、天平年間(729~749年)に諸国に建てられた国分寺の一つで行基により741(天平13)年創建。本尊は行基作と伝わる千手観音。庭園などに杉苔が密生し、土佐の苔寺ともいわれる。弘法大師が真言宗の寺として中興。四国霊場八十八ケ所第29番札所となっている。兵火で一時消失後に長曾我部国親・元親親子が再建、金堂*は元親がつくらせた1558(弘治4・永禄元)年建立のもので国重要文化財。江戸期に藩主山内忠義が再興。戦後の調査で、境内発掘調査では弥生時代の住居跡が発見された。1922(大正11)年に国史跡「土佐国分寺」に指定された土塁や基壇状の土壇は、その3/4が近現代の盛り土と判明、創建時の寺域が500尺であったことが明らかになった。
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みどころ

仁王門から石畳の参道が金堂へ真っすぐにのびている。背の高い杉の並木が両側から影を落として雰囲気が良い。塀を隔てて右手には高い杉林。長曾我部元親の時代に作られた金堂*は、杮(こけら)葺で天平の金堂を模した寄棟造り、木割の大きな軸組で、じつに風雅な建物。金堂の向かって左が大師堂。ここではおよそ常に個人やグループのお遍路さんたちを見かける。境内は掃き清められ、清々しく整えられている。鐘楼が対峙する左に開山堂。右の中門から庭園へ入れる。庭園はじめ境内に見られる杉苔の明るい緑も美しい。大師堂そばに「酒断ち地蔵尊」がおられる。そこで「高知らしい」という人もいる。
 境内から出てきたら、周囲の様子を。寺とその杜は、現在の主要市街地から外れ、国分川の流れの北、古から見晴らしのよい明るく広々とした土地に鎮座している。開基にあたり、土佐で一番良いと選ばれた地点である。
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補足情報

*紀貫之:868~946年。平安時代の歌人で三十六歌仙の一人。下級官を歴任し、土佐守にも就いた。任期を終え帰洛するまでの船旅を綴った『土佐日記』は、かな書き文学として最初のもの。
*金堂:国分寺観音堂ともいい1558(弘治4・永禄元)年、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)が再建したもの。桁行5間、梁間5間、1間の向拝付で単層、寄棟造、柿(こけら)葺で、内側は化粧屋根裏。内外ともに素木造である。
関連リンク 土佐 国分寺(WEBサイト)
参考文献 土佐 国分寺(WEBサイト)
『南国の歴史を歩く』高知県南国市教育委員会編 高知県南国市教育委員会
『雅なるまほろば土佐の国府ガイドブック国府史跡をめぐる』冊子 国府史跡保存会
『高知県の歴史散歩』高知県高等学校教育研究会歴史部会(編) 山川出版社

2023年02月現在

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