高知の皿鉢料理こうちのさわちりょうり

海、山、里の物を少量ずつ盛った口取り肴=「組物(くみもの)」や刺身=「なま」、すしを「皿鉢」(口径一尺二寸(約36cm)以上の浅い皿でサワチ、サアチ、サラチ等と呼ぶ)に盛りつけたもので、1つの器の料理をわけあって食べる。県下では冠婚葬祭はじめ各種宴会の定番料理で、高知市内で専門家が手がけるほか、家々での祝宴時等に調理されてきた。
 土佐料理として知られるが、徳島南部宍喰や愛媛宇和島にもみられ、明治中期まで日本各地でみられたものがこの地に残存したともいう。土佐での古い記録は寛政年間(1789~1801年)の森家の日記日録がある。
 県内の皿鉢料理は、明治期以降に発展し、仕出し店が現れ、飾り切りのハラン(葉蘭)で料理の間をしきるようになったのが明治後期、竹ぐしで魚をたてた見栄えのする生け作りにいきついたのは大正期という。いけ造り以外の皿鉢は、昭和初期に高知の仕出し屋が価格統一のために決めた39cm(一尺三寸)がそののちの標準となった。
 歌謡曲「南国土佐を後にして」のヒットを経た1960(昭和35)年代、土佐ブームの旅客を迎えた高知の旅館が増築や建て替えで収容人員を増やすとともに「名物・皿鉢料理」を売り物にし、土佐観光の目玉とした。
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みどころ

明治中期まで各地で行われていた盛り鉢料理が他所で消滅したのに対し土佐で発達した理由を、土佐料理の調理職・研究者であった宮川逸雄は、1979(昭和54)年の著書で、次のようにのべている。
 皿鉢料理は、1.気軽に宴席を設けることができる。2.人数に多少の変動があっても融通がきく。3.(一般の会席料理に比べ)料理・道具ともに安くあがる。4.(基本は先に並べておくので)手間がかからない。5.見た目が豪華である。6.皿鉢料理以外に素人にできる宴会料理がない。7.誰かれの区別なしに入り乱れ、杯を差す癖のある県民性にあっている。
 つまり、宴会好きな庶民に適した安上がりで合理的な料理が、土佐の皿鉢料理である。べく杯(下面がたいらでなく下に置くことができない盃)とならび土佐の酒食文化の象徴。できれば大勢で、たくさんの皿を並べて食の風景としても楽しみたい。
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補足情報

*近年は郡部も含めて家での宴会は少なくなり、企業でも取引先などをもてなす接待も大きく減少した。観光も団体旅行が減り少人数の旅行が中心となった。よさこい時期や年末年始の宴会の場ではいまも皿鉢料理が登場するが、高知観光の食の人気は大皿より居酒屋や食堂の「かつおのタタキ」に傾倒している。皿鉢料理、献杯、お座敷遊びなどは「高知の酒食文化」という括りで観光PRされている。高知市中心部では、例年3月上旬に県内の料理団体をはじめ、旅館、ホテル、飲食店などが参加し、様々な工夫を凝らした和・洋・中の皿鉢料理が一同に会する「食の祭典南国土佐皿鉢祭」が開催されている。また、高知城近くの「ひろめ市場」は常設・予約要らずで少人数や単身の客が、フードコート形式で気軽に酒食文化を感じられる場として人気がある。
関連リンク 公益社団法人高知市観光協会(WEBサイト)
参考文献 公益社団法人高知市観光協会(WEBサイト)
『土佐の料理』宮川逸雄 土佐民俗学会

2023年05月現在

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