善通寺ぜんつうじ

弘法大師空海*誕生の地として知られ、善通寺市のほぼ中央にある。高野山の金剛峯寺、京都の東寺とともに大師三大霊跡のひとつであり、真言宗善通寺派の総本山である。唐から帰朝した空海が、807(大同2) 年長安の青龍寺を模して建立した真言宗最初の根本道場で、空海の父、佐伯善通(さえき・よしみち)の名をとって寺号とした。四国霊場八十八ヶ所第75番札所。
 総面積約4万5,000m2と四国では最も広い寺で、金堂、五重塔などが建ち並ぶ「伽藍」とよばれる東院は創建時の寺域であり、御影堂(みえどう)を中心とする「誕生院」(西院)は鎌倉時代に空海の生家である佐伯家の邸宅跡に建立された。1558(弘治4・永禄元)年の兵火によって創建当初の伽藍諸堂は焼失したが、その後、讃岐国主生駒家、高松藩主松平家、丸亀藩主京極家などの庇護を受け再興した。金堂も江戸時代、1699(元禄12)年に再建されたものであり、一重裳階付入母屋造の本瓦葺で、軒下の意匠や瓦を敷き詰めた床の形状に禅宗様の特徴が見られる。五重塔は、木造の塔としては京都の東寺、奈良の興福寺に次いで全国で3番目に高く、基壇から相輪まで約43mある。倒壊、焼失の都度、再建され、現在の塔は4代目で1902(明治35)年に完成したものである。
 空海が唐の恵果阿闍梨(けいかあじゃり)から授かって持ち帰ったと伝わる「金銅錫杖頭(こんどうしゃくじょうとう)*」、空海が経文を書き、母の玉寄御前が仏像を描いたとされる「一字一仏法華経序品(いちじいちぶつほけきょうじょぼん)」をはじめとする貴重な宝物を有する。
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みどころ

四国霊場は本尊が秘仏でお堂の外から参拝するところも多いが、善通寺の金堂では大きな薬師如来像を拝むことができる。御影堂の地下の真っ暗な通路を100mほど進む「戒壇めぐり」、八十八ヶ所を巡るのと同じ功徳を積むことができるとされる遍照閣の「お砂踏み道場」では、観光客でも気軽に仏教の世界観を体験することができる。一般の宿泊客も利用できる宿坊(要予約)もあり、朝の勤行に参加可能。(いずれも寺の行事などで利用できない日があるので要確認。)
 まちのシンボルでもある五重塔は「懸垂工法」を採用しており、心柱は5層目の屋根裏で鎖で吊り下げられているのだが、周りの部材とは構造的につながっておらず、地面からも浮いている。毎年、ゴールデンウィークには1、2階部分が公開され、堂内の仏像や心柱が礎石から浮いているようすを見ることができる。国宝の「金銅錫杖頭」、「一字一仏法華経序品」も年に1回程度の公開が予定されている。そのほかにも、空海の幼少期からあったという2本の大クスや、五百羅漢など印象に残るスポットが目白押し。西院西側の駐車場の背後にある香色山(こうしきさん)のミニ八十八ヶ所(所要時間は徒歩約45分)もおすすめ。香色山のミニ八十八ヶ所は、山裾を一周するかたちで配されている。
 東院と西院の間の通りに、レトロな店構えが目を引く「熊岡菓子店」がある。歯が折れそうなほど堅い「堅パン」は参詣者に人気で、午前中に売り切れてしまうことが多い。(勝田 真由美)
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補足情報

*空海(弘法大師):774(宝亀5)年讃岐国多度郡屏風浦(現在の善通寺市)に生まれる。幼名を真魚(まお)といい、父は佐伯氏、母は阿刀氏の出である。15歳のとき、叔父阿刀大足と上京。出家し、教海と号し、さらに空海と改めた。804(延暦23)年入唐。帰国後、誕生地に善通寺を建立し、のち神護寺・高野山金剛峯寺・東寺の三寺を中心に真言宗の布教に努めた。835(承和2)年入定。921(延喜21)年、醍醐天皇から弘法大師の諡号を賜わる。
*錫杖:僧侶や修行者がもつ法具のひとつで、左右についた遊環をゆらして音を出し、邪をはらい空間を清浄にするとされる。善通寺所蔵の「金銅錫杖頭」は、総長55cm、鑞型による鋳造で、表面には上品の阿弥陀三尊とその左右に持国天・増長天、裏面には下品の阿弥陀三尊とその左右に広目天・多聞天が刻まれている。