白峯寺しろみねじ

坂出市の東、高松市に連なる五色台は瀬戸内海国立公園の中に位置し、その名の通り五峯(黄峯・白峯・赤峯・青峯・黒峯)からなり、北は瀬戸内海、南は讃岐平野を望む山々である。白峯寺は西よりの白峯(標高377m)の中腹にある四国霊場八十八ヶ所霊場の第81番札所で、崇徳上皇ゆかりの寺院でもある。
 815(弘仁6)年、弘法大師が修行のためにこの白峯に登り、宝珠を埋め井戸を掘った。後に弘法大師の甥(もしくは姪の息子)にあたるとされる智証大師がこの山の白峯大権現の化身である老翁のご神託を受け、瀬戸の海上に輝き瑞光を放っていた流木を引き上げて千手観音像を刻んで本尊とし、伽藍を整備したといわれる。その後、1164(長寛2)年、保元の乱によって讃岐に配流されていた崇徳上皇が没したことにより、陵墓を営み、菩提を弔うための頓證寺が境内の一角に建立され、今尚上皇の御霊を供養し続けている。
 瀬戸内海の雄大な景色が望める参道を進むと右手に時を経た源頼朝の寄進とされる2基の十三重石塔(国重文)があり、珍しい形の七棟門(ななむねもん)*をくぐると護摩堂の前で参道は左に折れ、まっすぐ進むと勅額門、その奥には頓証寺殿(とんしょうじでん)がある。この手前に上皇の悲しい物語を秘めた玉章木(たまずさのき)*がある。またさらに奥には崇徳天皇の御陵があり左右には源為朝・為義の供養塔が立つ。勅額門の右の石段を上がると本堂、大師堂、阿弥陀堂などが立っている。現存する堂宇は藩侯生駒家、松平家の再建によるものであり、本堂は1599(慶長4)年、大師堂は1881(文化8)年の再建である。
 また、境内の主要なお堂のすべてが国指定の重要文化財であり、それらのお堂には全ての方々の十二支守り本尊が祀られている他、数々の指定文化財を有している。
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みどころ

千手観音を本尊とする四国霊場の寺院であると同時に、崇徳上皇の御陵を守る御廟所(ごびょうしょ)であり、畿内以外にある天皇陵は3か所のみで、四国では唯一である。また、霊験あらたかな日本八天狗の一狗である白峯大権現(相模坊)が祀られている。
 都へ帰りたいという思いが叶わぬまま、この地で亡くなられた崇徳上皇にまつわるエピソードの数々が伝えられている。上皇が没した3年後、親交のあった西行法師が慰霊のため御廟に参詣した際に、上皇の霊と歌を詠み交わした話は、上田秋成の『雨月物語』でも有名である。上皇の没後、都で異変が相次いだため、上皇のたたりと恐れられ、時の権力者たちが種々の宝物を奉納して慰霊の心を尽くしたことから、いわれのある所蔵品も多い。第百代の後小松天皇は上皇の霊を祀る法華堂に「頓証寺」の勅額(国重文)を奉納し尊崇の意を表した。
 参道からは瀬戸内海の雄大な景色が望め、眼下に瀬戸大橋を見られるのもよい。香川県の保存木に指定されているモミの巨木をはじめ、春は桜、夏は紫陽花、秋は紅葉が有名で多数の参拝者で賑わう。
 山の中の静謐な境内に響くお遍路さんのお経につつまれる一時を過ごしてみるのもよい。(勝田 真由美)
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補足情報

*七棟門:白峯寺の山門で、高麗形式の門の左右に2棟の屏を連ね、棟があわせて7棟あるところからこう呼ばれる。1718(享保3)年の再建。
*玉章木:ケヤキの大木があったが、樹齢800年を超えて天寿を全うし、現在の木は2代目。崇徳上皇がホトトギスの声に都をしのび「啼けばきく きけば都の恋しきに この里過ぎよ 山ほととぎす」と詠まれ、その心中を察したホトトギスが、この木の葉を巻いてくちばしに入れ、鳴き声がもれないようにしたと伝えられる。玉章とは巻紙のこと。