八栗寺やくりじ

高松市の東方、源平の古戦場、壇ノ浦を挟んで屋島と向かい合う五剣山(標高375m)の中腹にある、四国霊場第85番札所。五剣山にはもともと5つの峰があったが、江戸時代の1706年(宝永3)の大地震で東の峰が一部崩落した。
 寺伝によれば、空海がこの地で修行中、天から降ってきた五本の剣を五つの峰に埋め、大日如来の像を刻み鎮護としたことにちなみ五剣山と名付けた。この地が霊地であることを確信した空海は、寺堂を建て、8つの国が見渡せたことから八国寺(やくにじ)と名付けた。空海が唐に渡る前に、入唐求法(にっとうぐほう)の成否を占うために植えた8個の焼き栗が、帰国するとすべて立派な木に成長していたことから、八栗寺に改めたといわれる。
 1583年(天正11)に長曾我部元親の軍勢が、現在の仁王門を少し下がった所にあった八栗城を攻めた際、本堂をはじめ諸伽藍は焼失した。江戸時代に、初代高松藩主松平頼重が本堂を再建し、三代藩主松平頼豊が現在の場所に本堂と二天門を再建した。元禄時代(1688~1704年)に藩専属の祈祷所となり、高松藩の支援のもと伽藍の修復が進められた。
 山岳修行の場であった名残として天狗を祀る中将坊堂もある。中将坊は讃岐三大天狗*の一人で、除災招福・健脚祈願などのご利益があるとされ、下駄が奉納されている。
 また、聖天(しょうてん)堂のあることでも知られる。1677年(延宝5)後水尾天皇皇后の東福門院(徳川秀忠とお江の娘)の念持仏*の聖天を賜った木食以空上人が四国行脚のおり、霊山である五剣山がこの聖天を祀るのにふさわしい場所であると悟り、本堂横の岩窟に聖天を安置したといわれる。「八栗の聖天さん」と呼ばれ、商売繁盛と縁結びのご利益があり信仰を集めている。ご利益のシンボルの巾着と大根が境内に多数見られる。
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みどころ

五剣山は海上や近隣の島からも目立つ山容で、お釈迦様の横顔のようだといわれ、屋島とならぶ地域のランドマークである。修験道の行場であった峰にはいくつもの祠があるが、現在は危険なため入山禁止とされている。
 八栗寺へはケーブルカー(所要約5分)で上がることができる。表参道を歩いて登ると約30分。東側の裏参道からは車で行くことも可能だが、道は狭くて急である。四国霊場の寺院ながら、現世利益を願う聖天を祀っており、地元の人にとっては身近なお寺である。初詣はもちろん、年三回の大縁日(1月16日・5月16日・旧暦9月16日)や毎月の縁日(1日・16日)にお参りに来る人も多い。2027年(令和9)八栗聖天は鎮座350年を迎える。
 お迎え大師展望台からは屋島・高松市郊外や像頭山まで見渡せ人気である。鐘桜堂の梵鐘は、會津八一の遺作の歌と波紋・雲紋模様と五剣山が刻まれた美術梵鐘として有名である。また、正月三が日のみ開扉される多宝塔もある。
 五剣山から産出される花崗岩は「庵治石」(あじいし)*と呼ばれる高級石材で、風化に耐え、繊細な細工が可能な石質から、古くから墓石灯籠などに利用されてきた。山麓の庵治町・牟礼町一帯は、現在も石材加工業が盛んである。(勝田 真由美)
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補足情報

*讃岐三大天狗:五剣山の中将坊、白峯山の相模坊、金毘羅山の金剛坊
*念持仏(ねんじぶつ):個人が身辺に置、私的に礼拝するための仏像。
*庵治石に関連しては、彫刻家の流政之が五剣山の東側の庵治に、イサム・ノグチが西側の牟礼にアトリエを構えたことでも有名。どちらも今は美術館として公開されている(いずれも完全予約制)。
関連リンク 八栗寺(WEBサイト)
参考文献 八栗寺(WEBサイト)
うどん県旅ネット(公益社団法人香川県観光協会)(WEBサイト)
五剣山 観自在院 八栗寺(WEBサイト)
『香川県の歴史散歩』山川出版社

2022年11月現在

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