旧金毘羅大芝居(金丸座)で上演される歌舞伎
「四国こんぴら歌舞伎大芝居」は、1835(天保6)年に建てられた現存する日本最古の芝居小屋である「旧金毘羅大芝居」(金丸座)で、年1回行われる歌舞伎公演。国の重要文化財に指定された舞台を活用した全国でも初めての試みで、1985(昭和60)年の初公演以来、毎年1回行われるようになり、現在では讃岐路に春を告げる風物詩となっている。開催前日には成功祈願祭である「お練り」と呼ばれる町廻りが行われ、役者が人力車に乗って顔見世を行う。
きっかけは、1984(昭和59)年、テレビ番組の撮影で歌舞伎俳優の二代目中村吉右衛門、二代目澤村藤十郎、五代目中村勘九郎が旧金毘羅大芝居に訪れたこと。3人は、「歌舞伎の原点」であり「客との一体感が感じられる、舞台と客席の距離がすばらしい」と旧金毘羅大芝居での上演を熱望。観光客が年々減少し、危機的状況になりつつあるのを感じていた地元からの働きかけと各方面との折衝が実を結び、金丸座での歌舞伎公演が実現した。「第1回四国こんぴら歌舞伎大芝居」は1985(昭和60)年6月27日から3日間で昼夜5回行われ、中村吉右衛門、澤村宗十郎、澤村藤十郎らの人気役者が出演し、すべて満員、大盛況となった*。
金丸座の最大の特徴は、入口の鼠木戸、左右両桟敷・枡席・大向こうなどの客席だけでなく、本花道と仮花道の2本の花道、花道に設けられた妖怪などが登場するスッポン、役者が早変わりで出入りする空井戸、廻り舞台とその下の奈落など歌舞伎小屋特有の本格的な構造と仕掛けがそのまま残されていることである。江戸時代の芝居小屋さながらの仕掛けで上演するため、舞台転換時に使う回り舞台・せり・スッポンなどは全て人力で操作する。また照明は自然光を利用し3段階になっている明かり窓の開閉によって調整する。これらはすべて、地元商工会青年部がボランティアで行っている。客席への案内・プログラムの販売・掃除などを担当する「お茶子」もボランティアで、1日20名から30名の女性がかすりの着物姿で参加する。県外からも泊りがけで参加する人もいる。
きっかけは、1984(昭和59)年、テレビ番組の撮影で歌舞伎俳優の二代目中村吉右衛門、二代目澤村藤十郎、五代目中村勘九郎が旧金毘羅大芝居に訪れたこと。3人は、「歌舞伎の原点」であり「客との一体感が感じられる、舞台と客席の距離がすばらしい」と旧金毘羅大芝居での上演を熱望。観光客が年々減少し、危機的状況になりつつあるのを感じていた地元からの働きかけと各方面との折衝が実を結び、金丸座での歌舞伎公演が実現した。「第1回四国こんぴら歌舞伎大芝居」は1985(昭和60)年6月27日から3日間で昼夜5回行われ、中村吉右衛門、澤村宗十郎、澤村藤十郎らの人気役者が出演し、すべて満員、大盛況となった*。
金丸座の最大の特徴は、入口の鼠木戸、左右両桟敷・枡席・大向こうなどの客席だけでなく、本花道と仮花道の2本の花道、花道に設けられた妖怪などが登場するスッポン、役者が早変わりで出入りする空井戸、廻り舞台とその下の奈落など歌舞伎小屋特有の本格的な構造と仕掛けがそのまま残されていることである。江戸時代の芝居小屋さながらの仕掛けで上演するため、舞台転換時に使う回り舞台・せり・スッポンなどは全て人力で操作する。また照明は自然光を利用し3段階になっている明かり窓の開閉によって調整する。これらはすべて、地元商工会青年部がボランティアで行っている。客席への案内・プログラムの販売・掃除などを担当する「お茶子」もボランティアで、1日20名から30名の女性がかすりの着物姿で参加する。県外からも泊りがけで参加する人もいる。
みどころ
江戸時代の琴平では、年に3回、市が立ち、芝居、相撲、軽業、操り人形などの興行が仮設の小屋で行われていた。仮小屋は町方の負担が大きく、門前町が金毘羅講などで多く参拝者を集めるようになり、常設の小屋が必要となった。金毘羅歌舞伎大芝居は、1835(天保6)年、当時の大阪道頓堀にあった大西芝居(後の浪花座)を模して、富籤(現代の宝くじのようなもの)の開札場を兼ねた常小屋として建てられた。もとは参道口に近い現在の琴平町文化会館・歴史民俗資料館の地にあった。明治以降、「稲荷座」「千歳座」「金丸座」*と所有者が変わるたびに小屋の名称が変わり、また地回りの芝居小屋や映画館と利用も移り変わった。やがて興行は衰退し廃館となると荒廃が進み、長らく廃屋のような状態となっていた。1970(昭和45)年に国の重要文化財に指定され、1976(昭和51)年に現在の愛宕山中腹に移築復元された。この時、名称が「旧金毘羅大芝居」となった。
公演がない一般の開館日には、舞台や花道、さまざまなランクの客席(枡席や桟敷、二階席など)にとどまらず、舞台下の奈落、空井戸、花道のスッポンなどの舞台装置、楽屋の風呂まで、ありとあらゆる場所を見学することができるようになっている。江戸時代の芝居小屋そのままの姿で説得力があり、ここで演じられる歌舞伎が役者にも観客にも愛されている理由がよくわかる。
2002(平成14)年末、移築後30年経過した建物の調査した結果、建物の保存には支障がないことがわかったが、耐震診断では今後の小屋の活用には無理があることが判明した。翌2003(平成15)年、天井裏全面に鉄骨で構造補強を施す耐震構造補強工事が行われ、長年、観劇の妨げとなっていた4本の鉄柱を除去することが可能となり、江戸時代の内装に戻すことができた。さらに前年の調査の過程で、江戸時代の仕掛け「ブドウ棚」*と「かけすじ」*の痕跡が発見されたことから、平場と向う桟敷天井部に「ブドウ棚」を、花道上部に「かけすじ」を復元整備することとなった。復元された仕掛けを活用する事でより一層、上演される演目の幅も広がりを見せている。(勝田 真由美)
公演がない一般の開館日には、舞台や花道、さまざまなランクの客席(枡席や桟敷、二階席など)にとどまらず、舞台下の奈落、空井戸、花道のスッポンなどの舞台装置、楽屋の風呂まで、ありとあらゆる場所を見学することができるようになっている。江戸時代の芝居小屋そのままの姿で説得力があり、ここで演じられる歌舞伎が役者にも観客にも愛されている理由がよくわかる。
2002(平成14)年末、移築後30年経過した建物の調査した結果、建物の保存には支障がないことがわかったが、耐震診断では今後の小屋の活用には無理があることが判明した。翌2003(平成15)年、天井裏全面に鉄骨で構造補強を施す耐震構造補強工事が行われ、長年、観劇の妨げとなっていた4本の鉄柱を除去することが可能となり、江戸時代の内装に戻すことができた。さらに前年の調査の過程で、江戸時代の仕掛け「ブドウ棚」*と「かけすじ」*の痕跡が発見されたことから、平場と向う桟敷天井部に「ブドウ棚」を、花道上部に「かけすじ」を復元整備することとなった。復元された仕掛けを活用する事でより一層、上演される演目の幅も広がりを見せている。(勝田 真由美)
補足情報
*この公演では、旧金毘羅大芝居の良さを生かすために中村吉右衛門が自ら「松貫四」のペンネームで脚色した「再桜遇清水(さいかいざくらみそめのきよみず)」を上演し好評を博した。
*「金丸座」の名称は1900(明治33)年につけられたもの。
*ブドウ棚:天井に竹を格子状に組み荒縄でしめたもの。役者の動きに合わせて裏方がブドウ棚の上を歩きながら客席に紙吹雪などを降らしたり、天井からちょうちんや暗幕などを吊るすことにも使われる。
*かけすじ:役者が宙乗りするのに使用する演出装置のこと。役者二人が宙に浮き、花道の上を移動しながら立ち回りをすることもできる。
※注意:旧金毘羅大芝居(金丸座)は耐震対策工事の為、2020(令和2)年10月1日から2022(令和4)年3月18日まで休館。2017(平成29)年度に受けた耐震診断で判明した強度不足に対応するため、壁面に鉄骨の筋交いを入れたり、基礎や床を補強したりする。
*「金丸座」の名称は1900(明治33)年につけられたもの。
*ブドウ棚:天井に竹を格子状に組み荒縄でしめたもの。役者の動きに合わせて裏方がブドウ棚の上を歩きながら客席に紙吹雪などを降らしたり、天井からちょうちんや暗幕などを吊るすことにも使われる。
*かけすじ:役者が宙乗りするのに使用する演出装置のこと。役者二人が宙に浮き、花道の上を移動しながら立ち回りをすることもできる。
※注意:旧金毘羅大芝居(金丸座)は耐震対策工事の為、2020(令和2)年10月1日から2022(令和4)年3月18日まで休館。2017(平成29)年度に受けた耐震診断で判明した強度不足に対応するため、壁面に鉄骨の筋交いを入れたり、基礎や床を補強したりする。
関連リンク | こんぴら歌舞伎オフィシャルサイト(WEBサイト) |
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参考文献 |
こんぴら歌舞伎オフィシャルサイト(WEBサイト) 琴平町観光協会(WEBサイト) うどん県旅ネット(公益社団法人香川県観光協会)(WEBサイト) 『香川県の歴史散歩』(山川出版社) |
2022年11月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。