満濃池
大川(だいせん)山麓を水源とする金倉川の流れを台地上の浸食谷の端で堰き止め、谷全体に水を満たした大規模な人工の池。灌漑用のため池としては日本最大級のもので、大宝年間(701~704年)、国司道守朝臣(みちもりあそん)が創築したと伝えられる。その後、821(弘仁12)年に弘法大師空海が改修にあたり、日本初のアーチ型ダム方式の堤防を短期間で完成させたといわれる。しかし、池は何度も決壊と修築を繰り返し、鎌倉・戦国期には約450年も放置され、干上がった池には集落が形成されていた。江戸時代に入り、生駒讃岐守の家臣、西嶋八兵衛がよみがえらせたが、1854(嘉永7・安政元)年の大地震で破堤し、幕末の動乱で再び放置された。明治維新後、復旧が始まり、このとき、堤防西隅の大岩に石穴を開け底樋とした。明治後期より第2次大戦後にかけて3度のかさ上げ工事を行い、1959(昭和34)年にようやく貯水量1,540万tという現在の規模となった。灌漑面積は2市3町の3,000haにも及ぶ。
空海が考案し、現在でも使われている仕組みに、水の圧力を分散させるアーチ型の堤と水位が一定以上とならないよう、余分な水を下流に放流する余水吐きがある。
2019(令和元)年、築堤から展望する風致景観が優秀で、古来より著名な名所として重要であることから、国の名勝に指定された。
空海が考案し、現在でも使われている仕組みに、水の圧力を分散させるアーチ型の堤と水位が一定以上とならないよう、余分な水を下流に放流する余水吐きがある。
2019(令和元)年、築堤から展望する風致景観が優秀で、古来より著名な名所として重要であることから、国の名勝に指定された。
みどころ
毎年6月15日には行われる「ゆる抜き」*は、讃岐平野に本格的な田植えシーズンの到来を告げる初夏の風物詩である。朝10時から神事が執り行われ、正午に合わせて満濃池土地改良区の関係者が配水用ハンドルを回して水門を開放すると、堤防下の放水口から轟音とともに毎秒5tの水が勢いよく流れ出す。毎年、多くの見物客で賑わい、地元のテレビニュースでも必ず放映される。ゆる抜きの後、上流の田から水が入っていき、海に近い下流の田が水で満たされると間もなく、田植えを終えるとされる7月2日の半夏生(はんげしょう)を迎える。
堤防下に整備された「ほたる見公園」は、池から流れ出るせせらぎに沿って遊歩道が整備され、ぼたんをはじめ、桜・しょうぶ・あじさい・つつじなど四季の花を楽しむことができる。池に隣接した香川県満濃池森林公園、国営讃岐まんのう公園は大規模公園で、気候がよいときは子供連れや自然観察、散策の客で賑わう。(勝田 真由美)
堤防下に整備された「ほたる見公園」は、池から流れ出るせせらぎに沿って遊歩道が整備され、ぼたんをはじめ、桜・しょうぶ・あじさい・つつじなど四季の花を楽しむことができる。池に隣接した香川県満濃池森林公園、国営讃岐まんのう公園は大規模公園で、気候がよいときは子供連れや自然観察、散策の客で賑わう。(勝田 真由美)
補足情報
*「ゆる」とは大正時代の初めまで池の取水口をふさいでいた直径約60cmの木製の栓を指す。当時は地元の男性らが、力を合わせて抜いていた。現在の水門は電動式になっている。
関連リンク | まんのう町(まんのう町役場)(WEBサイト) |
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参考文献 |
まんのう町(まんのう町役場)(WEBサイト) うどん県旅ネット(公益社団法人香川県観光協会)(WEBサイト) 『香川県の歴史散歩』山川出版社 |
2022年11月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。