徳島県立阿波十郎兵衛屋敷とくしまけんりつあわじゅうろべえやしき

阿波十郎兵衛屋敷は、JR高徳線徳島駅の北東7kmの吉野川の河口付近にあり、徳島駅からのバスの本数は少ないが、屋敷前がバス停となっているため移動がしやすい。
 近松半二ら5人の合作「傾城阿波の鳴門」*のモデルとなった庄屋板東十郎兵衛の屋敷跡である。現在はもとの屋敷の5分の1に縮小している。屋敷内の展示室には、阿波木偶(あわでこ)*や人形浄瑠璃*に使われる芝居道具などの展示があり、人形遣いの体験もできる。屋敷内には鶴亀の庭ともいわれる日本庭園があり、石や樹木の配置に趣がある。中庭にはお弓・お鶴母子の別れの像が立っている。そして、毎日阿波人形浄瑠璃芝居が上演される舞台は、農村舞台*を参考に建築されている。上演内容は主に「傾城阿波の鳴門」で、お弓・お鶴の別れの場面「順礼歌の段」である。
 慶長年間(1596年~1615年)頃、淡路島から徳島に伝えられたといわれ、藩の保護奨励により江戸末期の最盛期にはたくさんの人形座が存在した。また、農村舞台など野外劇場で育まれてきたので、大型の木偶や絶叫型の語りなどの特徴をもつ。
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みどころ

少々とっつきにくいかもしれないが、映像や展示室もあり、公演前にはていねいな説明もあるので内容や人形の動かし方などがよく理解できる。阿波十郎兵衛屋敷では人形を操るグループが12あり毎日交代で上演を行う。また、太夫・三味線のグループが5つあり、土・日・祝日の上演は生伴奏で行われる。
 徳島県内には、坂州農村舞台(那賀町)や犬飼農村舞台(徳島市)をはじめ多くの農村舞台が現在も残されている。阿波人形浄瑠璃が農村舞台で演じられてきたこともあり、農村舞台での芝居鑑賞は庶民の芝居愛好熱が感じられてよい。
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補足情報

*傾城阿波の鳴門:近松半二ら5名の合作の浄瑠璃。伊達騒動(作中では阿波徳島の御家騒動)に、夕霧・伊左衛門の情話、阿波の十郎兵衛・お弓夫婦の忠義を織り込んで脚色。お弓が順礼お鶴を、わが子と知りながら名乗らずに別れる八段目「順礼歌の段」が有名で、歌舞伎でもよく上演される。
*阿波木偶(あわでこ):三人遣いの人形。農村舞台などで使用される大型の人形。
*人形浄瑠璃:近世人形浄瑠璃が成立した当初は、人形の頭も素朴で、通常、一木造りの人形を一人で使った。1600年頃から三人遣いの人形が現れ、場面がにぎやかに展開することになる。野外舞台で演じられることの多かった阿波人形浄瑠璃は、時代とともに頭を含めた人形自体が大きくなり、「阿波の手」と呼ばれる大きな振りで演じられた。また、淡路島や大阪で使われている人形もほとんど徳島で制作したものである。
 明治以前の生まれで、大正・昭和期に活躍した作家の筆頭は初代天狗久である。ついでその甥の天狗弁がおり、つづいて三代天狗久、四代大江巳之助などがいる。十郎兵衛屋敷の向かいには阿波木偶人形会館がある。
*農村舞台:神社の境内にある人形芝居を演じる常設の舞台で、約80棟の人形芝居用の農村舞台が残る。その農村舞台での芝居は、農作物の豊穣を祈り、収穫を感謝する奉納行事でもあった。坂州農村舞台(那賀町)と犬飼農村舞台(徳島市)は、国の重要有形民俗文化財の指定を受けており今なお使用されている。農村舞台の数は、岐阜県、長野県などでも多いが、他県の舞台はその多くが歌舞伎舞台であるのに対して、徳島県は人形芝居の舞台が主である。