宝塚大劇場たからづかだいげきじょう

「宝塚大劇場」は、「すみれの花咲く頃、初めて君を知りぬ……」の歌に象徴される「宝塚歌劇団」*1の本拠地で、阪急宝塚線宝塚駅から「花のみち」*2をたどり500mほどのところにある。大劇場は座席数2,550席を擁し、各組80名ほどの団員からなる花組・月組・雪組・星組・宙組の5つの組により1年を通じそれぞれ特色のある公演が交代で行なわれている。
 敷地内には約500席の「宝塚バウホール」*3や数ヵ所のレストラン・喫茶、関連グッズを扱うショップ、歌劇の衣裳(レプリカ)を着て写真が撮れる「Salon de Takarazuka ステージスタジオ」、宝塚歌劇の歴史・ゆかりの品・写真などを展示する「宝塚歌劇の殿堂」、託児施設などが併設されている。
 また、隣接して劇団員を育成する「宝塚音楽学校」*4やオフィシャルホテルである「宝塚ホテル」*5も並ぶ。
 なお、現在、大劇場の武庫川側に面した場所に、新たなビルを建設しており、収録スタジオ・稽古場など関連施設の増設・再配置を予定している。
 歌劇団は1913(大正2)年に「宝塚新温泉」の余興として16名で結成された少女合唱隊「宝塚唱歌隊」がはじまりで、翌年、新温泉の室内プールを改造した「パラダイス劇場」での公演が初演となる。1919(大正8)年には箕面公会堂を移築した新歌劇場(公会堂劇場)でも公演を実施するようになった。1923(大正12)年にこれらの施設は焼失したが、翌年には4,000人収容の旧「宝塚大劇場」を完成させた。第2次世界大戦中、公演は一時中止となっていたが、1946(昭和21)年に再開している。 1992(平成4)年に現在の「宝塚大劇場」に建て替えられ、翌年正月にこけら落とし公演が行われた。「宝塚大劇場」及び周辺の関連施設は「阪神間モダニズム」*6と称されるヨーロッパの近代建築の影響を受けた建築デザインで統一されている。
#

みどころ

小説家田辺聖子は宝塚の魅力について、「それは一期一会の夢。手に掬えば消えてしまう、豪奢な星屑のきらめき」と記しているが、阪急宝塚駅から「花のみち」を歩くとすでにその夢との出会いを予感させる雰囲気がある。沿道のサクラ並木、宝塚ホテルなどの建ち並ぶ建物、店舗もいわゆる「阪神間モダニズム」の瀟洒な佇まいをみせてくれる。田辺はこの道の春について「三百本あまりの桜が空を掩うほど咲き、足もとには、山吹、つつじ、れんぎょうがむらがり続くのだが、この薄桃色の花の雲に包まれるときが、もっとも宝塚観劇にふさわしい」と書いている。
 大劇場に入れば、そこは「ザ・タカラヅカ」の世界観が溢れ、ファンにとっては至れり尽くせりの空間だ。そして大劇場ではまさに「豪奢な星屑のきらめき」をたっぷり堪能できる仕掛けのステージを楽しむことができる。小林一三は女性が男役を演じる宝塚歌劇について、歌舞伎と同様に「女から見た男役というものは男以上のものである。いわゆる男性美を一番よく知っている者は女性である。その女性が工夫して演じる男役は、女から見たら実物以上に惚れ惚れする男性が演ぜられる」のだとしている。いまや、三世代にわたるファンも珍しくなく、豪奢な美しさを堪能しようと、女性はもちろんのこと、男性も数多く観劇に訪れる姿がみられる。さらに、次々にスターが卒業し、新たなスターが誕生する、「手に掬えば消えてしまう」宝塚の「花々のうつろい」の早さと、「舞台芸術のはかなさ」が、より一層宝塚の魅力を増すのだとも田辺はいう。(田辺聖子「夢の菓子を食べて」から引用)
#

補足情報

*1 宝塚歌劇団:阪急電鉄(阪急東宝グループ)の創業者である小林一三により、鉄道の乗客誘致策を進めるなかで「宝塚新温泉」のアトラクションのひとつとして「宝塚唱歌隊」が結成された。その後東京にも進出し、歌と踊りなどを交えた「レビュー」をいち早く取り入れた 1927(昭和2)年の『モン・パリ〈吾が巴里よ〉』で大好評を得て興行業界での地位を確かなものにした。小林一三は同歌劇団を女性のみが演ずる「家族ぐるみで安心して楽しめる国民劇」を目指し、団員にも「清く正しく美しく」をモットーとすることを求めた。第2次世界大戦後は『ウエストサイド物語』などのブロードウェイ作品を取り上げ、1970年代には『ベルサイユのばら』が空前のヒットとなって、社会現象ともなった。その後も多彩なジャンルをテーマにした演目に挑戦し、数々のヒットが生まれており、海外公演も行っている。
*2 花のみち:阪急宝塚駅から宝塚大劇場まで600mほど続く遊歩道。春にはサクラの並木が彩るのをはじめ、四季折々に沿道の植栽が美しい。途中には小林一三の銅像や宝塚歌劇に因む彫像、花時計も配されている。また、沿道には、カフェ、レストラン、宝塚グッズ、雑貨の店が並び「阪神間モダニズム」の雰囲気を醸し出している。
*3 宝塚バウホール:1978(昭和53)年竣工。バウとは英語の「BOW」で船の舳先の意で、新しい時代へのさきがけとなるように名付けられた。その名のとおり次代を担う若手育成を重点とした作品を上演している。
*4 宝塚音楽学校:1919(大正8)年「宝塚音楽歌劇学校」として創設された。現在は予科1ヵ年、本科1ヵ年(通算2ヵ年)、各科約40名。同校を卒業していないと宝塚歌劇団には入団できない。
*5 宝塚ホテル:1926(大正15)年開業当時は、宝塚大劇場から見て武庫川の対岸にあたる宝塚南口駅近くにあったが、2020(令和2)年に、大劇場に隣接する現在地に移転した。移転新築後も、開業当時の欧州モダニズムの瀟洒な佇まい(阪神間モダニズム)を受け継いでいる。
*6 阪神間モダニズム:兵庫県の「阪神間モダニズム再発信プロジェクト」によると、主に大正時代から昭和初期までに「阪神間で、新しく生まれたライフスタイル、生活・産業、芸術文化(文学、音楽、美術、写真、演劇など)とそれに関連する学問、建築、娯楽、ファッション、スポーツ、価値観などの時代の潮流」と定義している。建築物については神戸の北野異人館群との違いを単なる西洋建築の模造ではなく、「日本人が居住するために、伝統的な建築様式と組み合わせ、和洋折衷型の建築物として築き上げ」たものだとしている。 神戸女学院大学、関西学院大学などの建築群や武庫川女子大学甲子園會舘、ヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)、芦屋仏教会館、カトリック夙川教会、雅俗山荘(小林一三記念館)などの民間の建築物がこの地域に現在も多数点在している。