高源寺
JR福知山線柏原駅から北西に約20km、岩屋山(標高718m)の北麓にある。1325(正中2)年、中国(「元」)の杭州天目山の中峰明本(普応国師)に10年間学んで帰った遠谿祖雄禅師*が、霊夢で得た天目山に似たこの地に堂宇を創建した寺。同寺は遠谿祖雄禅師が日本へ帰国した後に、入元した業海本浄*が同じ天目山で学び、1348(貞和4)年に開創した山梨県棲雲寺の「東天目」に対して「西天目」と呼ばれている。後柏原天皇の勅願寺として栄え、丹波屈指の巨刹であった。しかしながら天正年間(1573~1592年)、織田信長の丹波攻略の際、堂宇をすべて焼失。江戸中期に入り、堂宇などは再興、再建された。山号は西天目瑞巌山。臨済宗中峰派の本山。
境内には遠谿祖雄禅師が中国の天目山から持ち帰ったとされる「天目カエデ」が多数植栽されている。
境内には遠谿祖雄禅師が中国の天目山から持ち帰ったとされる「天目カエデ」が多数植栽されている。

みどころ
ここでのみどころはなんといっても「天目カエデ」。苔むした広い石段を登りつめると緑樹に囲まれて堂塔が古寂のたたずまいを見せている。とくに数多く植えられている「天目カエデ」は、小さくて切れ目が深い葉と垂れ下った枝が特徴で、石段が多く傾斜地の境内では、濃緑の苔とあいまって堂塔に陰影をつけ、美しい。高源寺は、この「天目カエデ」によって、とくに紅葉の名所として知られるが、4~5月の清々しい新緑と初夏の緑の濃さが染み入る万緑もまた、心が洗われる思いがするので、ぜひお勧めだ。

補足情報
*遠谿祖雄禅師:1286~1344年。丹波国氷上郡出身。1306(徳治元)年入元、中峰明本(普応国師)から印可を授かり1316(正和5)年に帰国。さらに筑前(福岡県)で10年間修禅。その後、郷里にも近いこの地に草庵を結んだ。
*業海本浄:生年不明~1352年。1318(文保2)年、「元」に渡り、杭州天目山の中峰明本(普応国師)のもとで修行。印可を授かり1326(嘉暦元)年に帰国した。その後、諸方行脚のすえ、杭州天目山によく似たこの地で、天目山護国禅寺(現在の栖雲寺)を1348(貞和4)年に創建。この山中の樹下や石上で坐禅を組み、中峰明本の教えを伝えた。
*業海本浄:生年不明~1352年。1318(文保2)年、「元」に渡り、杭州天目山の中峰明本(普応国師)のもとで修行。印可を授かり1326(嘉暦元)年に帰国した。その後、諸方行脚のすえ、杭州天目山によく似たこの地で、天目山護国禅寺(現在の栖雲寺)を1348(貞和4)年に創建。この山中の樹下や石上で坐禅を組み、中峰明本の教えを伝えた。
関連リンク | 高源寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
高源寺(WEBサイト) 「朝日日本歴史人物事典 遠谿祖雄・業海本浄」朝日新聞出版 |
2025年03月現在
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